第3講 カスタマーハラスメントにどう対応するか|正当な苦情と不当要求をどう見分けるか
第3講
カスタマーハラスメントにどう対応するか|正当な苦情と不当要求をどう見分けるか
企業に寄せられる苦情の中には、商品やサービスの不備、従業員対応への不満、説明不足への抗議など、企業として正面から受け止めるべきものが少なくありません。他方で、苦情という形をとりながら、実際には暴言、長時間拘束、過剰な謝罪要求、土下座要求、担当者の人格否定、繰り返しの電話や来訪、不合理な金銭請求など、通常の顧客対応の範囲を超えた行為に及ぶものもあります。いわゆるカスタマーハラスメントは、このように「顧客だから許される」という枠を明らかに逸脱した言動によって、企業活動や従業員の就業環境に深刻な支障を生じさせる問題です。中小企業では、現場の人数が限られているため、一人の執拗な要求者に振り回されるだけで、通常業務が大きく乱されることがあります。
もっとも、カスタマーハラスメントへの対応で難しいのは、すべての強い苦情が直ちに不当要求になるわけではないという点にあります。実際に企業側に落ち度がある場合、相手が強い口調で抗議すること自体はあり得ますし、損害の回復や説明を求めることそのものは正当な権利行使である場合もあります。そのため、企業としては、「怒っている顧客=カスハラ」と短絡的に決めつけるのではなく、まず苦情内容と要求内容を切り分けて考える必要があります。商品不良への返金要求、誤請求の訂正要求、事故や損害についての説明要求などは、態様によっては十分に正当な範囲にとどまり得ます。問題となるのは、要求の内容や方法が、社会通念上相当な範囲を超えているかどうかです。
この「相当性」を考えるうえでは、内容面と態様面の両方を見る必要があります。内容面では、企業の落ち度や損害の程度に比して、要求が過大でないかが重要です。たとえば、軽微なミスに対して高額な慰謝料を要求する、根拠のない長期的補償を求める、商品やサービスと無関係な私的要求を持ち出すといった場合には、不当性が強まります。他方、態様面では、要求内容自体が一定程度理解可能であっても、その表現や手段が許容範囲を超えることがあります。大声で怒鳴る、深夜早朝に繰り返し連絡する、担当者を何時間も拘束する、録音や撮影をちらつかせて威圧する、SNS投稿を過度に示唆して圧力をかける、従業員個人を名指しで攻撃する、といった行為は、企業として従業員保護の観点から看過すべきではありません。
カスタマーハラスメント対応でまず大切なのは、「相手を刺激しないこと」と「相手に支配されないこと」を同時に意識することです。現場では、相手の声が大きいと、何とかその場を収めようとして過剰に譲歩したり、逆に感情的に言い返して対立を深めたりしがちです。しかし、前者は不合理な要求を固定化し、後者は紛争をさらに激化させます。企業として取るべき基本姿勢は、苦情の内容自体は落ち着いて確認しつつ、不当な要求や不当な態様には巻き込まれないというものです。そのためには、対応者個人の我慢や気合いに委ねるのではなく、一定の型を設ける必要があります。たとえば、長時間対応を避ける、一定回数以上の連絡は責任者対応に切り替える、録音や記録を前提にする、複数人で対応する、現場単独で金銭や謝罪文の約束をしない、といったルールです。
また、カスタマーハラスメントの場面では、記録化が通常のクレーム以上に重要です。相手方の発言内容、要求内容、回数、時間、応対者、現場の状況などをできる限り具体的に残しておかなければなりません。電話であれば日時と概要、対面であれば誰が同席したか、メールやSNSであれば本文や画面の保存が必要です。後に社内判断を行う際にも、弁護士が関与する際にも、客観的記録がなければ「単に厳しい苦情だったのか」「明らかに行き過ぎた言動だったのか」の評価が難しくなります。特に、相手が後に「そんなことは言っていない」「正当な要求をしただけだ」と主張することは珍しくありませんから、記録の有無が会社防衛に直結します。
さらに、企業として忘れてはならないのは、カスタマーハラスメントは単なる対外問題ではなく、労務管理上の問題でもあるという点です。従業員が顧客から暴言や執拗な要求を受け続ければ、精神的負担が蓄積し、離職や休職、職場全体の萎縮につながることがあります。したがって、会社は「お客様だから仕方ない」と現場に耐えさせるのではなく、従業員を守るための対応方針を持たなければなりません。必要に応じて担当変更、出入り制限、書面対応への切替え、警察相談、弁護士名での通知なども検討対象になります。企業に求められるのは、顧客対応力だけではなく、従業員保護と事業継続を両立させる判断です。
もっとも、企業側が「カスハラだ」と決めたからといって、それで直ちに問題が終わるわけではありません。実際には、自社の対応に改善すべき点が残っている場合もありますし、初期対応の不手際が相手の怒りを増幅させた可能性もあります。そのため、カスタマーハラスメント対応では、相手の不当性を強調するだけでなく、自社側の説明不足や現場対応の乱れがなかったかもあわせて検証すべきです。この視点を欠くと、単に「厄介な客だった」で終わってしまい、同種事案の再発防止につながりません。正当な苦情部分と不当な要求部分を分けて把握することが、企業にとって最も実務的な整理です。
また、近時は口コミサイトやSNSを通じて、「対応が悪い」「誠意がない」などの評価が拡散することもあります。こうした場合、企業側は名誉や信用への影響を懸念して過剰に譲歩したくなりますが、すべての投稿リスクに押されて不合理な要求を受け入れるべきではありません。大切なのは、公開の場で感情的に争わず、必要な事実確認と内部整理を行い、場合によっては淡々と対応を打ち切ることです。企業が恐れるべきなのは、単に「悪く言われること」ではなく、社内のルールなく場当たり的に対応してしまうことです。場当たり対応は、外部評価以上に、将来の火種を会社内部に残します。
結局のところ、カスタマーハラスメント対応において企業が目指すべきなのは、「正当な苦情には向き合うが、不当な要求には巻き込まれない」という線引きを、感覚ではなく実務として持つことです。そのためには、苦情内容と要求態様を切り分け、記録を残し、社内で判断を引き上げ、必要に応じて対応方法を制限することが欠かせません。顧客対応は企業活動の重要な一部ですが、顧客であることを理由に従業員の安全や会社の秩序を犠牲にしてよいわけではありません。カスタマーハラスメントへの対応は、単なる接客技術ではなく、企業の危機管理と労務管理が交差する問題として捉えるべきでしょう。