第5講 事実調査はどう進めるか|聞き取り・資料確認・証拠保全の実務
第5講
事実調査はどう進めるか|聞き取り・資料確認・証拠保全の実務
社内不祥事や重大クレームが生じたとき、企業が最も苦しむのは、「何が起きたのかがはっきりしないまま判断を迫られること」です。処分をするにしても、謝罪をするにしても、取引先へ説明するにしても、前提となる事実が曖昧であれば、判断は不安定になり、後から別の問題を生みやすくなります。そのため、危機対応において事実調査は中心的な作業になります。しかし実務では、「とりあえず本人に聞けばよい」「関係者の話を集めればよい」といった感覚で進めてしまい、かえって証拠を失ったり、話が混線したり、調査の信用性を損なったりすることがあります。事実調査は、単に情報を集める作業ではなく、後から検証可能な形で事実を固めていく作業として行う必要があります。
まず重要なのは、調査の目的を意識することです。企業の事実調査は、警察や裁判所の捜査とは異なり、真実を抽象的に追い求めること自体が目的なのではありません。会社として何が起きたのかを把握し、被害拡大を防ぎ、必要な処分や是正措置、対外説明の前提を整えることが目的です。したがって、すべてを完璧に解明しないと何も進められないわけではありませんが、少なくとも「いま判明していること」「未確認のこと」「誰の供述に依拠しているのか」「どの客観資料で裏付けられるのか」は整理されていなければなりません。調査において大切なのは、結論を急ぐことではなく、根拠のある仮説とその裏付けを丁寧に積み上げることです。
そのための出発点となるのが、資料確認と証拠保全です。聞き取りを始める前に、まず何の資料が存在し得るかを洗い出さなければなりません。メール、チャット、帳票、申請書、稟議書、会計データ、勤怠記録、入退室記録、監視カメラ映像、サーバーログ、スマートフォンや業務端末の利用履歴など、不祥事の種類に応じて見るべき資料は異なります。ここで重要なのは、「あとで見ればよい」と考えないことです。データは上書きされ、映像は保存期限が過ぎ、チャットは削除され、紙資料は差し替えられることがあります。したがって、調査の初期段階で、関係しそうな資料を消えない形で確保しておくことが必要です。証拠保全が甘いまま聞き取りだけ先行すると、後で供述を客観資料で検証できず、調査の質が大きく落ちます。
次に、聞き取りの順序も実務上きわめて重要です。いきなり対象者本人にすべてをぶつけたくなることはありますが、通常はその前に、周辺事情を把握している関係者や客観資料から外堀を埋める方が安全です。対象者に先に話を聞くと、その後に証拠隠滅や口裏合わせが行われる危険がありますし、こちらの問題意識や保有資料を不用意に相手へ伝えてしまうことにもなります。したがって、一般には、まず事実関係の輪郭を把握し、資料を確保し、必要に応じて周辺関係者から聞き取りを行ったうえで、最後に対象者本人への聴取に進む方が望ましい場面が多いといえます。もちろん事案によって例外はありますが、少なくとも順序を意識せずに場当たりで聴取を始めるべきではありません。
聞き取りの際には、「何を聞くか」と同じくらい、「どう聞くか」が大切です。強い調子で詰問すると、相手は防御的になり、話の信用性がかえって落ちることがあります。他方で、雑談のように進めすぎると、重要な点が曖昧なまま流れてしまいます。実務では、日時、場所、関係者、行為の内容、経緯、認識、やり取り、資料の有無といった要素を、できるだけ具体的に確認する必要があります。「どういうことがあったのですか」と広く聞く場面も必要ですが、その後は「いつのことか」「そのとき誰がいたのか」「どの資料を見たのか」「誰に報告したのか」といった形で、時系列と客観資料に結びつく質問に落としていくことが重要です。供述の評価は、印象ではなく、具体性と整合性、客観資料との一致で見るべきです。
また、聞き取りの結果は、必ず記録化しなければなりません。人の記憶は変わりますし、後から「そのような説明はしていない」「そういう趣旨ではなかった」と争われることは珍しくありません。したがって、誰に、いつ、どこで、誰が聞き取りをし、どのような説明があったのかを、できる限り正確に記録する必要があります。録音の可否は事案や社内ルールとの関係で慎重な判断を要しますが、少なくともメモや聴取記録は残すべきです。可能であれば、供述者に記録内容を確認してもらう方法も検討に値します。調査の場面では、「聞いた」という事実だけでなく、「どう記録したか」が後の説得力を左右します。
さらに注意したいのは、調査の過程で関係者同士の接触や情報共有が進みすぎないようにすることです。社内では、調査対象となっていることが広がると、噂や憶測が先行し、供述が互いに影響を受けることがあります。特に、小規模な組織では、誰が何を話したかがすぐに共有されやすく、これが調査の中立性を損ないます。そのため、調査に関与する者の範囲は必要最小限にとどめ、関係者への連絡も統一された形で行うべきです。守秘を徹底しないまま調査を進めると、対象者の名誉や職場環境にも不必要なダメージが生じ、会社自身が別の問題を抱えることになります。
事実調査では、「結論ありき」にならないことも極めて重要です。経営者や管理職は、過去の人間関係や印象から、「あの人ならやりかねない」「あの部署に問題があるはずだ」と考えがちですが、その先入観で調査を進めると、都合のよい情報だけを拾い、不都合な事実を見落とす危険があります。調査の目的は、既に持っている印象を確認することではなく、客観資料と具体的供述をもとに会社として合理的な判断材料を得ることにあります。そのためには、対象者に不利な事情だけでなく、有利な事情や別の可能性も含めて確認する姿勢が必要です。特に処分や公表につながる事案では、一度誤った評価をしてしまうと、後からの修正が非常に難しくなります。
また、すべてを社内だけで完結させようとしないことも大切です。法的評価が絡む事案、役員や管理職が関与する事案、被害が大きい事案、対外説明が必要な事案では、早い段階で弁護士などの外部専門家を入れた方が安全なことがあります。外部が入ることで、調査の中立性や整理の精度が上がるだけでなく、後の処分、通知、公表、訴訟対応との接続も取りやすくなります。特に、社内の人間だけでは人間関係に引っ張られやすい場合には、外部の視点が大きな意味を持ちます。事実調査は、社内の空気で決めるものではなく、会社として説明可能な形に整えるべきものです。
結局のところ、事実調査の実務で重要なのは、聞き取りだけに頼らず、資料確認、証拠保全、順序設計、記録化、守秘、客観性を一体として考えることです。話をたくさん聞いたこと自体が調査の成果ではなく、その話がどの資料に裏付けられ、どの点が未確認で、どこまで会社として判断できるのかを整理してこそ、調査は意味を持ちます。危機対応における事実調査は、派手な作業ではありませんが、ここが雑だと、その後の処分も謝罪も交渉もすべて不安定になります。だからこそ企業は、問題が起きたときほど慌てて結論に飛びつくのではなく、調査の型を整え、確かな土台の上で次の判断に進むべきでしょう。