第6講 会社はこう反論してくる ―― 過失相殺・素因減額・自己責任論への対処
労働災害の民事訴訟では、被災者側が会社の安全配慮義務違反や因果関係を主張したとしても、会社側はそのまま責任を認めることはほとんどありません。むしろ、多くの事件で会社側は、「たとえ何らかの問題があったとしても、損害の全部を会社が負うのはおかしい」という方向から反論してきます。その典型が、過失相殺、素因減額、そして広い意味での自己責任論です。ここをどう受け止め、どう切り返すかは、労働災害民事訴訟の実務上、非常に重要です。
まず、過失相殺とは、被災者側にも不注意や不適切な行動があった場合に、その分だけ賠償額を減らすという考え方です。たとえば、現場で定められた手順に従わなかった、安全具を適切に使っていなかった、危険な場所に立ち入った、といった事情があれば、会社側は強くこの点を主張してきます。しかし、ここで被災者側が忘れてはならないのは、労働現場とは、一定の焦りや見落とし、判断ミスが起こり得ることを前提に設計されるべき場所だということです。そもそも安全配慮義務とは、労働者が常に完璧に振る舞うことを前提とするものではありません。だからこそ、被災者側としては、「本人に多少のミスがあった」という一点に引きずられるのではなく、「そのミスが重大事故に直結しない職場を会社は作っていたか」という本来の問題に戻していく必要があります。
次に、素因減額です。これは、被災者の体質、既往症、精神的脆弱性など、本人側にあった事情を理由に、「結果が大きくなったのは会社のせいだけではない」として損害額の減額を求める考え方です。特に、過労やメンタル不調の事案では、会社側が「もともと精神的に弱かった」「私生活上の問題を抱えていた」「以前から同様の症状があった」といった形で主張してくることが少なくありません。しかし、ここでも被災者側としては、単に既往症や私的事情の存在を認めるか否かで議論するのではなく、それがどの程度結果に影響したのか、そして業務上の負荷が法的に見てなお主要な原因であったといえるのかを丁寧に整理すべきです。人は誰しも何らかの脆さや事情を抱えながら働いているのであって、それを理由に安易に会社の責任を軽くしてよいわけではありません。
さらに、会社側は、法律用語として整理されないまま、広い意味での自己責任論を持ち出してくることがあります。たとえば、「本人は危険をわかっていたはずだ」「嫌なら辞めればよかった」「相談しなかったのが悪い」「無理だと思うなら断るべきだった」といった主張です。こうした言い方は、一見もっともらしく聞こえることがあります。しかし、労働の現場では、使用従属性のもとで働く以上、労働者が常に自由で対等な立場で判断できるとは限りません。上司の指示を断りにくい、職場の空気上言い出せない、人手不足で無理をせざるを得ない、雇用不安から我慢せざるを得ないといった事情は、現実に広く存在します。だからこそ、裁判でも「形式上は断れたはずだ」という抽象論ではなく、その職場において現実に断れる環境だったのかが問われるべきなのです。
被災者側にとって大切なのは、会社側のこれらの反論に対し、感情的に反発するだけでなく、法的な枠組みの中で冷静に位置づけることです。過失相殺が問題になるなら、その前提となる安全体制の不備を具体的に示す。素因減額が主張されるなら、業務上の負荷の大きさと経過を丁寧に積み上げる。自己責任論が出てきたら、労働現場の実態と使用従属性を踏まえて反論する。こうした整理を積み重ねることで、会社側の「責任の押し戻し」に対抗していくことになります。
労働災害民事訴訟では、会社側はしばしば、被害そのものを争うというより、「会社だけが全部悪いわけではない」という方向に議論をずらしてきます。だからこそ、被災者側は、事故や発症の具体的経過、職場の構造的問題、指揮命令関係、相談困難性などを丁寧に示しながら、責任の中心がどこにあるのかを見失わないことが重要です。