第8講 労災給付と損害賠償の関係 ―― 二重取りにならない整理とは

労働災害の民事訴訟を考えるとき、多くの方が疑問に思われるのが、「労災保険から給付を受けていても、さらに会社に損害賠償請求できるのか」という点です。結論からいえば、労災給付を受けているからといって、直ちに民事請求ができなくなるわけではありません。ただし、同じ損害について二重に填補を受けることはできません。そこで必要になるのが、労災給付と民事上の損害賠償とを、項目ごとに丁寧に整理することです。

まず前提として、労災保険は、業務災害や通勤災害について、一定の保険給付を行う制度です。他方、民事上の損害賠償は、会社に安全配慮義務違反などの法的責任があることを前提に、損害の填補を求めるものです。つまり、両者は制度の性質が異なります。そのため、労災認定があること自体は、民事訴訟にとって有利な事情になり得る一方で、民事上の責任や損害額がそのまま自動的に決まるわけではありません。

ここで問題になるのが、損益相殺ないしその調整です。たとえば、休業補償給付や障害補償給付によって、被災者が一定の補償を受けている場合、その給付と同じ性質の損害項目については、民事上の損害額から控除が問題になります。要するに、同じ休業損害について、労災保険からも会社からも満額を受け取ることはできない、ということです。これは被災者に不利な話というより、同一損害の二重填補を避けるための整理です。

もっとも、実務上は、ここが単純な引き算で済まないことが少なくありません。なぜなら、労災給付と民事上の損害項目は、名称も性質も完全には一致しないことがあるからです。たとえば、慰謝料については、労災保険がそのまま民事上の慰謝料を完全に埋めるものではありませんし、逸失利益についても、どの給付がどの損害に対応するのかを丁寧に見なければなりません。したがって、「労災をもらっているから、もう請求しても意味がない」と早合点するのは危険です。現実には、労災給付では十分に埋まらない損害が残ることは珍しくありません。

また、会社側はしばしば、「すでに労災で補償されているのだから、これ以上の請求は過大だ」といった印象論を持ち出してきます。しかし、ここでも重要なのは、何がどの損害を埋めているのかを項目ごとに整理することです。治療費、休業損害、後遺障害に伴う損害、逸失利益、慰謝料などを分けて考え、労災給付で填補済みの部分と、なお残る部分を区別する必要があります。整理が粗いと、請求全体が「二重取り狙い」のように見えてしまいかねませんが、逆に整理が精密であれば、請求の正当性はむしろ明確になります。

さらに、労災給付の手続と民事訴訟の進行は、必ずしも同じタイミングでは進みません。症状固定前後で給付状況が変わることもありますし、後遺障害等級の認定状況によって損害論の組み立ても変わります。そのため、民事請求を考える場面では、「現時点で何が給付されているのか」「今後どの給付が見込まれるのか」を把握しながら、請求の立て方を調整していく必要があります。

労働災害民事訴訟では、労災給付を受けていることと、会社に責任を問うこととは、対立するものではありません。むしろ、両者を混同せず、重なる部分と重ならない部分を正確に整理することが、適正な救済につながります。被災者側としては、制度ごとの役割を踏まえながら、どこまでが埋まり、どこがまだ埋まっていないのかを見極めることが大切です。

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