第16講 使い込みが疑われるとき|預金流出・無断出金への対応
第16講 使い込みが疑われるとき|預金流出・無断出金への対応

相続では、「親の預金が思ったより残っていない」「同居していた子が通帳を管理していた」「亡くなる前後に多額の引出しがある」といった場面が非常によくあります。
こうしたケースでは、感情的にはすぐ「使い込みだ」と言いたくなりますが、法律実務では、まず何が起きたのかを資料で確定することから始めます。家庭裁判所も、「もっと財産があるはずだ」というだけでは遺産分割手続で扱えず、存在を裏付ける資料を収集して提出する必要があると案内しています。
問題は、大きく二つに分かれます。
第一に、払戻しや出金が本当にあったのか、いつ、誰が、いくら動かしたのかという事実の確認です。第二に、その金銭を、遺産分割の中で調整できるのか、それとも別に不当利得や不法行為として請求しなければならないのかという手続の選択です。家庭裁判所の資料は、この二つを分けて考える前提で作られています。
1 最初にやるべきことは、通帳・残高証明・取引履歴の確保である
使い込みが疑われるとき、最初に必要なのは推測ではなく記録です。
家庭裁判所の遺産分割申立書類案内では、預貯金について、通帳写し、残高証明書、取引履歴が資料として想定されており、相続開始時と現在時の残高が分かるものを求めています。つまり、家裁実務自体が、預金の出入りを裏付ける資料を重視しています。
また、金融機関への照会も重要です。
ゆうちょ銀行は、相続人が被相続人の貯金の有無の調査や残高証明書の発行を求めることができると案内しており、さらに通常貯金の入出金状況、つまり取引履歴の照会についても、相続人が必要書類を持参して手続できると案内しています。少なくとも公的金融機関の一例として、相続人が取引履歴にアクセスし得ることは明確です。
したがって、実務では、まず
どの金融機関に口座があったのか、相続開始時残高はいくらか、その前後にどのような出金・送金があるかを、通帳・残高証明・取引履歴で押さえることになります。これがないまま「長男が怪しい」「妹が勝手に使った」と言っても、手続は進みません。
2 「生前の払戻し」と「死後の払戻し」を分けて考える
預金流出の問題では、被相続人が生きていた時期の払戻しと、亡くなった後の払戻しを分けて考えるのが基本です。
家庭裁判所のハンドブックでも、「生前払い戻された預貯金」と「死後払い戻された預貯金」を分けて示し、それぞれ遺産分割手続でどう扱えるかを整理しています。
生前払戻しは、死亡時にはもう口座から出ているため、当然にそのまま遺産として残っているとはいえません。
そのため、無断払戻しや使途不明金として問題になるときは、後で述べるように、不当利得・不法行為の問題として別途組む場面が出てきます。他方で、相続人全員が合意すれば、遺産分割調停・審判の中で調整対象に取り込むことも可能だと家庭裁判所は整理しています。
死後払戻しも同様に、誰かが相続開始後に遺産に属する預金を動かしている以上、問題の立て方が必要です。
この点について民法906条の2は、遺産分割前に遺産に属する財産が処分された場合でも、共同相続人は、その処分された財産が遺産として現に存在するものとみなして遺産分割をすることができると定めています。少なくとも、処分された金額を「あるものとして」分割計算に載せる余地が、法律上明示されています。
3 遺産分割で処理できる場合と、別訴になる場合がある
ここが第16講の核心です。
家庭裁判所の資料は、生前払戻し・死後払戻しの預貯金について、相続人全員の合意があれば、遺産分割調停・審判の中で扱うことができると整理しています。さらに、民法906条の2第2項に関する注記として、処分した相続人が特定できる場合には、その相続人以外の相続人全員の合意で足りると案内しています。
反対に、使い込みかどうか自体で争いがある、本人の承諾があったと相手が言っている、生活費・介護費・医療費に充てたと説明されているといった場面では、全員合意が崩れやすいです。
その場合、家庭裁判所資料は、使途不明金などの不当利得債権・不法行為債権は、合意できないときは民事訴訟等で解決すると明示しています。つまり、「遺産分割の中で押し切る」のではなく、別訴で権利関係を確定させるべき場面があるということです。
4 不当利得・不法行為とはどういう意味か
無断出金の法的構成として典型なのは、不当利得と不法行為です。
民法703条は、法律上の原因なく他人の財産や労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益を返還しなければならないと定めています。また、民法709条は、故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者は、損害賠償責任を負うとしています。相続の場面でいえば、無権限で預金を取り込んだなら不当利得、違法な払戻しや着服なら不法行為、という組み立てが典型です。
もっとも、どちらで構成するかは、事実関係によって変わります。
たとえば、被相続人本人のために支出したのであれば、直ちに「相続人個人の利得」とはいえないことがありますし、本人の意思に基づく贈与や委任があったのかも争点になります。だからこそ、最初に取引履歴と使途を押さえる必要があるのです。これは民法上の要件と、家裁資料が使途不明金を別訴問題として整理していることから導かれます。
5 実務では「誰が、いつ、何のために」を詰める
使い込み疑惑の案件では、抽象的に「おかしい」と言うだけでは足りません。
実務では、誰が出金したのか、いつ出金したのか、いくら動かしたのか、どこへ送金されたのか、何に使ったのかを一つずつ詰めます。家庭裁判所が、遺産の存在を裏付ける資料提出を求め、通帳写し・残高証明書・取引履歴を標準資料としているのは、そのためです。
したがって、証拠としては、通帳・取引履歴だけでなく、領収書、介護費用の明細、入院費の請求書、送金先口座の情報、本人の判断能力に関する医療記録、通帳管理者に関する事情などが問題になります。
このあたりは、使途説明が信用できるかどうかに直結します。裁判所資料も、単に「もっとあるはずだ」ではなく、財産の存在を裏付ける資料提出が必要だと繰り返しています。
6 家裁は勝手に調査してくれるわけではない
相続事件では、「家庭裁判所が銀行を全部調べてくれる」と期待されることがあります。
しかし、家庭裁判所の案内は、家庭裁判所が積極的に他に遺産があるかどうかを調査することはないと明言しています。相続人であることを示して金融機関に相談し、残高証明書や取引履歴の交付を受けるなどして、自分で資料を集めるのが原則です。
この点は実務上かなり重要です。
通帳を持っている相手方に対し「出してください」と言っても出てこない場合、こちら側で金融機関から取れる資料を先に取り、少なくとも金銭の動きの外形を押さえてから家裁へ持ち込む方が強いです。
7 遺産分割での調整という解決もある
使い込み疑惑の案件が、必ずしも毎回、別訴まで行くわけではありません。
たとえば、相続人全員が「長男が生前に500万円を受け取っていたことは認める」「ただし、その法的性質を厳密に争うより、遺産分割でその分を考慮して調整しよう」と合意するなら、家裁の遺産分割手続の中でまとめる方が実務的なことがあります。家庭裁判所資料も、全員合意があれば、生前払戻し・死後払戻し預金を調停・審判で扱えるとしています。
この場合の発想は、
「現に残っている財産」だけでなく、「すでに特定の相続人が受け取った金額」も含めて全体の公平をとるというものです。民法906条の2は、その法的な受け皿の一つになります。
8 ただし、争いが強いなら別訴を覚悟する
反対に、
「本人が自分で渡したと言っていた」
「いや、認知症だったから無効だ」
「介護費・生活費に使った」
「そんな支出は一部だけで、残りは自分の口座へ入れている」
といったレベルで争いが深いなら、遺産分割だけで片付けるのは難しいです。家庭裁判所は、使途不明金などの不当利得債権・不法行為債権について、合意できないときは民事訴訟等で解決すると明示しています。
つまり、実務の見極めとしては、
金額の存在自体は争いがなく、評価だけの問題なら遺産分割で調整しやすい、
権限・承諾・使途・返還義務そのものが争われるなら別訴寄り、
というのが基本です。これは家裁資料の整理を、そのまま現場の判断基準に落としたものです。
9 まとめ|使い込み疑惑では、感情より先に証拠と手続選択である
預金流出や無断出金が疑われるときは、まず通帳、残高証明書、取引履歴を集め、
誰が、いつ、いくら、何のために動かしたのかを押さえることが第一です。家庭裁判所も、存在を裏付ける資料が必要だとし、預貯金については通帳写し・残高証明書・取引履歴を標準資料にしています。ゆうちょ銀行も、相続人による残高調査や取引履歴照会を案内しています。
そのうえで、
全員合意があるなら、生前払戻し・死後払戻し預金を遺産分割の中で調整する道があります。
合意がないなら、不当利得・不法行為として民事訴訟等で解決するのが原則です。民法703条・709条がその法的基礎になり、民法906条の2は、処分済み財産を遺産としてみなして分割する余地を認めています。
結局のところ、使い込み疑惑の相続で大事なのは、
「怪しい」という感情を、「どの資料で、どの手続で、どう請求するか」という形に変えることです。
ここを外さないことが、相続実務ではいちばん効きます。