第8講 懲戒権

第8講 懲戒権

――会社は従業員をどこまで処分できるのか

人事権の中でも、最も慎重な運用が求められるものの一つが、懲戒権です。会社は、職場秩序を維持し、企業活動を円滑に行うために、従業員の問題行動に対して一定の処分を行うことがあります。注意、戒告、けん責、減給、出勤停止、降格、諭旨解雇、懲戒解雇などが、その典型です。

懲戒権は、広い意味では人事権の一部です。しかし、単なる配置転換や人事評価とは性質が異なります。懲戒は、労働者の企業秩序違反に対する「制裁」です。会社が従業員に不利益を課すものですから、通常の人事措置よりも厳格な制約を受けます。会社にとっては職場秩序を守るための重要な手段ですが、乱暴に使うと、処分無効、未払賃金請求、地位確認請求、損害賠償請求などの大きな紛争につながります。

まず大前提として、懲戒処分を行うためには、就業規則上の根拠が必要です。会社が「これは悪いことだから処分する」と考えても、就業規則に懲戒の種類や懲戒事由が定められていなければ、懲戒処分としては極めて危うくなります。懲戒は、会社が一方的に労働者へ制裁を科す制度ですから、あらかじめルールとして明示されている必要があります。

たとえば、就業規則に、無断欠勤、業務命令違反、職場秩序を乱す行為、ハラスメント、会社の信用を害する行為、秘密保持義務違反、経歴詐称、金銭不正、横領、暴力行為、飲酒運転、情報漏えい、副業規定違反などが懲戒事由として定められているかを確認します。また、懲戒の種類として、戒告、けん責、減給、出勤停止、降格、諭旨解雇、懲戒解雇などが規定されているかも重要です。

もっとも、就業規則に懲戒規定があるだけでは足りません。実際に懲戒処分を行うためには、①懲戒事由に該当する事実があること、②処分が相当であること、③手続が適正であること、④他の事案との均衡を失しないことが必要です。この4点を外すと、会社側の処分は一気に危なくなります。

まず、懲戒事由に該当する事実があるかです。これは、要するに「本当にその行為をしたのか」という問題です。会社が従業員を懲戒するには、噂や印象では足りません。誰が、いつ、どこで、何をしたのか。被害者や関係者は誰か。証拠は何か。本人はどう説明しているのか。これらを確認する必要があります。

たとえば、ハラスメントを理由に懲戒する場合、単に「職場で評判が悪い」「部下が怖がっている」というだけでは不十分です。具体的な発言内容、日時、場所、相手方、周囲の目撃者、メールやチャットの記録、相談記録、被害申告、本人の弁明などを確認する必要があります。金銭不正であれば、帳簿、領収書、振込記録、経費申請書、監査資料などの客観資料が重要になります。

次に、処分の相当性です。懲戒事由に該当する事実があったとしても、どの処分を選ぶかは慎重に判断しなければなりません。軽微なミスに対していきなり懲戒解雇をすることは、通常、相当性を欠きます。反対に、重大な横領や暴力、重大な情報漏えいのような場合には、重い処分が検討されます。問題行動の内容、故意・過失の程度、被害の大きさ、反復性、過去の指導歴、本人の反省、会社への影響などを総合的に見る必要があります。

懲戒処分でありがちな失敗は、会社側の怒りが処分選択にそのまま反映されることです。社長や上司が「許せない」と感じることと、法的に重い懲戒処分が有効になることは別です。会社側の感情としては理解できる場面でも、客観的に見て処分が重すぎれば、懲戒権の濫用と評価される可能性があります。懲戒処分は、怒りの表明ではなく、企業秩序維持のための制度的対応です。

特に懲戒解雇は、最も重い処分です。労働者は職を失い、退職金にも影響することがあり、再就職にも不利益が生じ得ます。そのため、懲戒解雇が有効とされるには、相当程度重大な非違行為が必要です。会社としては、「解雇したいから懲戒解雇」ではなく、「この非違行為の重大性からみて、雇用関係を即時に終了させることが相当といえるか」を慎重に検討すべきです。

第三に、手続の適正さです。懲戒処分を行う前には、原則として本人に事情を確認し、弁明の機会を与えるべきです。就業規則や懲戒規程に弁明手続、懲戒委員会、賞罰委員会などの定めがある場合には、その手続に従う必要があります。会社が十分な調査をせず、本人の言い分も聞かずに処分を決めると、手続面から処分の有効性が争われやすくなります。

本人への事情聴取では、威圧的な取調べにならないよう注意が必要です。長時間にわたり密室で詰問する、退職届を書くよう迫る、認めなければ懲戒解雇だと脅す、録音を禁止して一方的に責め続ける、といった対応は危険です。事情聴取は、事実確認のために行うものです。会社側がすでに結論を決めて、形式的に本人を呼び出すだけでは、手続の適正さを疑われます。

第四に、他の事案との均衡です。同じような行為をした従業員に対しては注意で済ませていたのに、特定の従業員だけ重い処分をする場合、不公平な取扱いとみられる可能性があります。過去の処分例、社内での運用、他の従業員との比較は重要です。もちろん、個別事情によって処分が異なることはありますが、その違いを説明できる必要があります。

懲戒処分には、段階性もあります。軽微な問題行動については、まず口頭注意や指導、書面注意、始末書、戒告・けん責などから始めるのが通常です。注意指導をしても改善しない、同じ問題行動を繰り返す、より重大な規律違反があるという場合に、減給、出勤停止、降格、解雇といった重い処分が問題になります。いきなり重い処分に飛ぶと、相当性を欠くと評価されるリスクが高まります。

ただし、すべての事案で必ず軽い処分から始めなければならないわけではありません。重大な横領、暴力、悪質なハラスメント、重大な情報漏えい、飲酒運転による会社信用の毀損など、非違行為の内容が重大であれば、一度の行為でも重い処分が検討されることはあります。重要なのは、行為の重大性と処分の重さが釣り合っているかです。

懲戒処分と通常の業務指導の区別も大切です。会社は、従業員に対して日常的に注意指導を行うことができます。遅刻が多い、報告が遅い、ミスがある、顧客対応が不適切である、といった場合に、上司が指導することは当然です。しかし、それを懲戒処分として扱うのか、通常の業務指導として扱うのかは整理しておく必要があります。

たとえば、「注意書」「指導書」「警告書」「始末書」などの名称が曖昧なまま運用されている会社があります。これは後で問題になりやすいところです。単なる指導なのか、懲戒処分としての戒告・けん責なのかによって、必要な手続や法的意味が異なります。会社側としては、懲戒処分として行う場合には、その旨を明確にし、就業規則上の根拠と処分内容を示すべきです。

減給処分については、労働基準法上の制限にも注意が必要です。減給の制裁を行う場合、1回の額が平均賃金の1日分の半額を超えてはならず、総額が一賃金支払期における賃金総額の10分の1を超えてはならないという制限があります。会社が「罰として今月の給料を大きく減らす」といった運用をすると、法令違反になる可能性があります。

出勤停止処分についても注意が必要です。出勤停止期間中は労務提供をさせず、賃金を支払わない扱いになることが多いため、労働者にとって重い不利益です。出勤停止日数が長すぎる場合や、処分理由が軽微な場合には、相当性が争われます。また、出勤停止中の連絡、会社施設への立入り、業務用端末の扱いなども、事前に整理しておくとよいでしょう。

降格を懲戒処分として行う場合には、前講で述べた人事措置としての降格との区別が重要です。懲戒降格であれば、懲戒事由、懲戒手続、処分の相当性が必要です。人事上の適性判断として役職を外す場合とは、法的な根拠が異なります。実務上、「処分として下げる」のか、「組織上の配置として外す」のかを曖昧にしないことが重要です。

懲戒解雇と普通解雇の区別も重要です。懲戒解雇は、企業秩序違反に対する制裁としての解雇です。これに対し、普通解雇は、労働契約を継続し難い事情がある場合に行われる契約終了の措置です。問題社員対応の場面では、懲戒解雇にするのか、普通解雇にするのか、退職勧奨にするのかを慎重に選ぶ必要があります。懲戒解雇は強い処分である分、無効となったときの反動も大きくなります。

会社側の実務としては、懲戒処分を検討する前に、まず事実関係を固めることが出発点です。関係者からの聴取、客観資料の収集、時系列の整理、本人への確認を行います。そのうえで、就業規則上のどの懲戒事由に該当するのか、過去の処分例と比較して重すぎないか、本人に弁明の機会を与えたか、処分通知書にどのように理由を書くかを検討します。

処分通知書の書き方も重要です。懲戒処分を通知する際には、処分内容だけでなく、処分理由をできるだけ具体的に記載すべきです。「勤務態度不良のため」「会社秩序を乱したため」といった抽象的な記載だけでは、後に争われたときに弱くなります。いつ、どのような行為があり、それが就業規則のどの規定に該当し、どの処分を行うのかを整理して記載します。

また、懲戒処分を行う際には、社内公表の有無にも注意が必要です。再発防止や職場秩序維持のため、処分を社内に知らせたい場合があります。しかし、必要以上に個人名や詳細な非違行為を公表すると、名誉毀損やプライバシー侵害の問題が生じることがあります。公表する場合でも、必要性、範囲、内容を慎重に検討すべきです。

ハラスメント事案では、被害者保護と加害者への手続保障の両方を考える必要があります。被害申告があったからといって、直ちに加害者とされた従業員を重く処分するのは危険です。他方で、被害者の訴えを軽視し、何も調査しないことも問題です。会社としては、申告内容を丁寧に確認し、関係者への聴取を行い、必要に応じて一時的な配置上の配慮を行いながら、事実認定を進める必要があります。

情報漏えいやSNS投稿を理由とする懲戒も、近年重要性が増しています。従業員が会社情報、顧客情報、取引先情報、職場内の画像、社内資料などを外部に流出させた場合、会社への影響は大きくなります。ただし、この場合も、投稿内容、公開範囲、会社との関連性、実害の有無、故意性、就業規則上の根拠を確認する必要があります。私生活上の行為であっても会社の信用を大きく害する場合には問題となり得ますが、会社と無関係な私的行為まで無制限に懲戒できるわけではありません。

副業・兼業違反についても同様です。会社が副業を禁止または許可制にしている場合でも、違反があれば直ちに重い懲戒ができるとは限りません。競業に当たるか、会社の信用を害するか、本業に支障が出ているか、秘密情報の漏えいリスクがあるか、労働時間管理上の問題があるかを具体的に見る必要があります。形式的に副業届を出していないというだけで重い処分をすると、相当性が争われることがあります。

懲戒権の運用で最も危険なのは、「見せしめ」と「後出し」です。見せしめとは、特定の従業員を厳しく処分して、他の従業員への警告にする発想です。もちろん、懲戒には職場秩序維持の意味がありますが、処分対象者本人の行為と処分の均衡を失ってまで重くすることはできません。後出しとは、処分を決めた後に、理由を探したり、証拠を集めたりすることです。これも非常に危険です。

懲戒処分を適正に行うためには、日頃の就業規則整備も欠かせません。懲戒事由が古いままになっている会社では、現代的な問題に対応しにくいことがあります。ハラスメント、情報セキュリティ、SNS利用、個人情報保護、秘密保持、副業・兼業、反社会的勢力との関係、飲酒運転、会社貸与品の不正使用など、現在の職場リスクに対応した規定を整備しておく必要があります。

ただし、懲戒事由を広く書きすぎればよいというものでもありません。「その他会社が不適切と認める行為」といった包括的な規定だけに頼ると、処分根拠として弱くなることがあります。具体的な懲戒事由を列挙しつつ、最後に包括条項を置く形が実務上は使いやすいです。

懲戒権は、会社にとって必要な権限です。問題行動を放置すれば、職場秩序は乱れ、まじめに働いている従業員の不満が高まり、顧客や取引先にも迷惑が及びます。会社が適切に懲戒権を行使することは、組織を守るために不可欠です。

しかし、懲戒権は、強い薬のようなものです。効き目はありますが、使い方を誤ると副作用も大きい。事実確認が甘い、手続が粗い、処分が重すぎる、就業規則上の根拠がない、他の事案との均衡を欠く。このような懲戒処分は、会社を守るどころか、かえって会社を危険にさらします。

結局のところ、懲戒権の実務で重要なのは、会社の怒りをいったん制度に変換することです。何が起きたのか。どの規定に違反するのか。証拠は何か。本人の言い分は何か。過去の処分例と比べてどうか。どの処分が相当か。手続は踏んだか。これらを一つずつ確認することで、懲戒処分は初めて「会社の感情」ではなく「会社の判断」になります。

懲戒権は、職場秩序を維持するための最後の砦です。ただし、最後の砦であるからこそ、軽々しく使うべきではありません。日常的な注意指導、評価、面談、配置転換で対応できる問題なのか。それとも、企業秩序違反として懲戒処分が必要な問題なのか。ここを見極めることが、会社側労働法務の実務では極めて重要です。会社が懲戒権を適切に使うためには、就業規則、事実調査、弁明機会、処分相当性、記録化という基本を外さないことが何より大切です。

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