第9講 退職勧奨・普通解雇

第9講 退職勧奨・普通解雇

――会社は従業員との雇用関係をどのように終了できるのか

人事権の中でも、最も重く、最も紛争化しやすいのが、雇用関係の終了に関する判断です。会社が従業員に退職を促す。従業員の能力不足や勤務態度不良を理由に普通解雇を検討する。事業縮小により人員削減を行う。休職期間満了後に復職できないとして退職扱いにする。これらは、会社にとっては組織を維持するための判断ですが、従業員にとっては生活の基盤を失う重大な局面です。

まず整理すべきなのは、退職勧奨と解雇はまったく別物だという点です。退職勧奨とは、会社が従業員に対して、自主的な退職を促す働きかけです。これに対し、解雇は、会社が一方的に労働契約を終了させる意思表示です。退職勧奨は、最終的には従業員の同意によって退職が成立します。解雇は、従業員が同意しなくても、会社の意思表示によって雇用関係を終了させようとするものです。

この違いは非常に重要です。会社側が「辞めてもらいたい」と考えたとき、いきなり解雇を選択するのは危険です。日本の労働法では、解雇には厳しい制約があります。労働契約法16条は、解雇について、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には、権利濫用として無効とする旨を定めています。つまり、会社が「もう雇い続けたくない」と思うだけでは足りません。

そこで実務上は、まず退職勧奨が検討されることがあります。退職勧奨は、会社と従業員が話し合いにより雇用関係を終了させる方法です。解雇と異なり、合意による退職であるため、適切に行えば紛争リスクを下げることができます。特に、能力不足、勤務態度不良、職場不適応、組織再編などの場面では、退職勧奨が現実的な選択肢になることがあります。

もっとも、退職勧奨も自由に何をしてもよいわけではありません。退職勧奨は、あくまで「任意の働きかけ」です。従業員が退職を拒否しているにもかかわらず、執拗に面談を繰り返す、長時間にわたり退職を迫る、人格を否定する、退職届を書かなければ懲戒解雇にすると脅す、他の従業員の前で退職を迫る、といった行為は、違法な退職強要と評価される可能性があります。

退職勧奨の実務で大切なのは、会社が「退職してほしい理由」を冷静に説明し、従業員に検討の機会を与えることです。退職勧奨は、説得ではありますが、強制ではありません。従業員がその場で判断できない場合には、持ち帰って検討する時間を与えるべきです。また、従業員が明確に拒否した場合には、その後の対応を慎重に考える必要があります。

会社側としては、退職勧奨を行う前に、なぜ退職を促すのかを整理しておく必要があります。能力不足なのか、勤務態度不良なのか、職場秩序の問題なのか、ポストの消滅なのか、会社の経営状況なのか。理由が曖昧なまま退職勧奨を行うと、従業員から「辞めさせたいだけではないか」「嫌がらせではないか」と受け止められます。

能力不足を理由とする場合には、過去の評価、注意指導、改善機会、配置転換の可能性などが重要になります。いきなり「あなたは能力が足りないので辞めてください」と言っても、従業員は納得しません。会社としては、これまでどのような問題を指摘し、どのような改善を求め、それでもどのような支障が残っているのかを説明できる必要があります。

勤務態度不良を理由とする場合も同様です。遅刻、欠勤、報告義務違反、指示違反、協調性欠如、顧客対応不良、社内トラブルなどがある場合でも、日頃から注意指導を行い、その記録を残しているかが重要です。問題があると社内で感じていたとしても、本人に伝えていなければ、後から「初めて聞いた」と反論されやすくなります。

退職勧奨を行う場合には、面談の方法にも注意が必要です。面談者は、通常、直属上司と人事担当者、あるいは経営者と人事担当者など、複数名にすることが考えられます。ただし、人数が多すぎると威圧的に見えることがあります。面談時間も長くなりすぎないようにし、従業員の体調や精神状態にも配慮すべきです。

また、退職勧奨では、録音されている可能性を常に意識すべきです。これはもう現代労務の基本です。密室での不用意な発言は、後にそのまま証拠になります。「君の居場所はない」「辞めないなら不利益になる」「明日から来なくていい」「普通なら空気を読む」などの表現は危険です。会社側は、録音されても困らない言葉だけで話すべきです。

退職条件の提示も重要です。従業員に自主退職を求める以上、退職日、有給休暇の扱い、退職金、解決金、会社都合・自己都合の扱い、離職票の記載、社会保険、業務引継ぎ、秘密保持、競業避止、貸与品返還などを整理する必要があります。退職勧奨を現実的に成立させるには、従業員側が納得できる条件提示が必要になることもあります。

退職合意が成立した場合には、退職届または退職合意書を作成しておくべきです。単に口頭で「辞めます」と言っただけでは、後に「本意ではなかった」「退職を強要された」と争われる可能性があります。退職日、退職理由、金銭条件、未払賃金の有無、有給休暇、貸与品返還、守秘義務、清算条項などを明確にしておくことで、後日の紛争を防ぎやすくなります。

次に、普通解雇です。普通解雇は、懲戒解雇とは異なり、制裁ではありません。労働契約を継続し難い事情がある場合に、会社が労働契約を終了させるものです。典型的には、能力不足、勤務成績不良、協調性欠如、業務命令違反、長期欠勤、傷病による労務提供不能、経営上の人員削減などが問題になります。

普通解雇で最も重要なのは、先ほど述べた労働契約法16条です。解雇には、客観的合理的理由と社会通念上の相当性が必要です。これは、解雇理由が存在するだけではなく、その理由に照らして、雇用関係を終了させることが社会的に見て相当といえるかまで問われるということです。

能力不足を理由とする普通解雇は、実務上かなり慎重な検討が必要です。会社が期待した能力に達していない、仕事が遅い、ミスが多い、成果が出ない、といった事情があっても、それだけで直ちに解雇できるとは限りません。会社は、採用時にどのような能力を期待したのか、どの程度不足しているのか、教育指導を行ったのか、改善の機会を与えたのか、配置転換で対応できないのかを問われます。

特に新卒採用や若手社員の場合、会社には一定の教育指導が期待されます。最初から完成された能力を前提にしていたわけではないため、能力不足を理由に短期間で解雇するのは難しい場合があります。他方で、専門職や管理職、中途採用の即戦力人材については、採用時に特定の能力・経験を前提としていることが多いため、その前提を大きく欠く場合には、解雇理由として整理しやすいこともあります。

ただし、中途採用であっても、単に「期待外れ」だけでは足りません。求人票、雇用契約書、職務記述書、採用面接時の説明などから、どのような役割を期待していたのかを明確にしておく必要があります。そして、その期待役割に照らして、どのような点が不足しているのかを具体的に示す必要があります。

勤務態度不良を理由とする普通解雇では、注意指導の積み重ねが重要です。遅刻や欠勤、業務命令違反、報告義務違反、同僚とのトラブルなどがある場合でも、会社が何も注意せずに放置していた場合、突然の解雇は相当性を欠くと評価される可能性があります。注意指導、警告書、面談記録、改善指示、改善期間の設定が重要になります。

協調性欠如を理由とする解雇も注意が必要です。「協調性がない」という言葉は便利ですが、抽象的です。裁判になった場合、具体的にどのような言動があり、業務にどのような支障が出たのかを示さなければなりません。単に性格が合わない、上司に反論する、職場で浮いている、という程度では足りないことが多いです。具体的な業務妨害、ハラスメント、指示拒否、職場秩序への支障として整理する必要があります。

傷病による労務提供不能を理由とする解雇や退職扱いでは、第7講で述べた休職・復職判断が前提になります。休職期間満了時に、従業員が労働契約上予定された業務を遂行できる状態にあるかどうかを確認する必要があります。主治医の診断書、産業医の意見、本人面談、配置可能業務の有無などを検討せずに雇用終了とするのは危険です。

経営上の理由による解雇、いわゆる整理解雇は、さらに別の慎重な枠組みが必要です。人員削減の必要性、解雇回避努力、人選の合理性、手続の相当性が問題になります。役員報酬の削減、残業抑制、新規採用停止、配置転換、希望退職募集などを検討したか。誰を対象にするかについて合理的基準があるか。従業員や労働組合に説明したか。こうした点が問われます。

普通解雇を行う場合には、解雇予告の問題もあります。労働基準法上、原則として少なくとも30日前に解雇予告をするか、30日分以上の平均賃金を解雇予告手当として支払う必要があります。ただし、解雇予告をしたからといって、解雇が有効になるわけではありません。解雇予告は手続上の問題であり、解雇の有効性は別途、労働契約法16条により判断されます。

ここも実務上よく誤解されます。会社が「30日分払えば解雇できる」と考えている場合がありますが、これは危険です。解雇予告手当は、解雇の効力を当然に保証するものではありません。客観的合理的理由と社会通念上の相当性を欠く解雇であれば、予告手当を支払っていても解雇は無効となり得ます。

解雇通知書の作成も重要です。解雇する場合には、解雇日、解雇理由、就業規則上の根拠などを明確にする必要があります。従業員から解雇理由証明書を請求された場合、会社はこれを交付する必要があります。解雇理由を曖昧にしたまま進めると、後から理由を追加しようとしても、信用性を疑われることがあります。

普通解雇の実務では、解雇に至るまでのプロセスが極めて重要です。問題行動や能力不足がある場合でも、まず注意指導を行い、改善を求め、一定期間様子を見る。必要に応じて配置転換や担当変更を検討する。それでも改善しない場合に、退職勧奨や普通解雇を検討する。この段階を踏むことで、会社側の判断の相当性を説明しやすくなります。

逆に、いきなり解雇は危険です。会社内部では「もう限界だ」と感じていても、外部から見ると、本人に十分な指導や改善機会が与えられていないように見えることがあります。特に、評価資料が普通以上であったり、注意指導記録がなかったり、直前まで賞与を支給していたりすると、「本当に解雇するほどの問題があったのか」と疑われやすくなります。

退職勧奨と普通解雇の関係も整理しておく必要があります。退職勧奨を行い、従業員が拒否した場合、直ちに解雇できるわけではありません。退職勧奨は任意の合意退職を求める手続であり、拒否すること自体は従業員の権利です。拒否したことを理由に不利益な扱いをすれば、退職強要や報復的措置と評価される可能性があります。

会社側としては、退職勧奨を拒否された場合に備えて、次の手を考えておく必要があります。問題が改善可能であれば、指導・配置転換・評価の運用に戻る。解雇相当と考えるのであれば、解雇理由と証拠を改めて検討する。条件交渉による合意退職の余地があるなら、条件を再検討する。ここを感情的に処理すると、一気に危なくなります。

また、退職勧奨の際に「応じなければ解雇する」と伝える場合には、非常に慎重であるべきです。現実に解雇できるだけの理由と資料がある場合に、その見通しを冷静に説明することはあり得ます。しかし、解雇できるか不明なのに、圧力として「解雇」を持ち出すと、退職強要とみられるリスクがあります。労務の現場での「ブラフ」は、録音された瞬間に化け物になります。これは地味に怖いところです。

普通解雇を検討する場合には、懲戒解雇との違いも意識する必要があります。従業員に問題行動がある場合、会社は懲戒処分として解雇したくなることがあります。しかし、懲戒解雇は制裁として最も重い処分ですから、ハードルが高くなります。事案によっては、懲戒解雇ではなく、普通解雇として構成した方が適切な場合もあります。

たとえば、重大な規律違反というよりも、業務遂行能力の不足や職場不適応が中心である場合には、普通解雇の問題として整理する方が自然です。一方で、横領、重大なハラスメント、悪質な情報漏えいなど、企業秩序違反が中心である場合には、懲戒解雇が問題になります。どちらの構成にするかは、事実関係と証拠を踏まえて慎重に選ぶ必要があります。

会社側の労務管理において、雇用終了は最後の手段です。もちろん、どうしても雇用を継続できない場合はあります。問題社員対応をいつまでも先送りすれば、他の従業員の士気が下がり、職場秩序が壊れ、会社全体に悪影響が及びます。会社が適切な場面で退職勧奨や解雇を検討すること自体は、組織防衛として必要です。

しかし、雇用終了は、会社の「不満」を処理する場面ではなく、会社の「説明責任」が最も重くなる場面です。なぜ雇用を続けられないのか。これまで何を指導したのか。改善の機会を与えたのか。配置転換は検討したのか。本人の言い分を聞いたのか。解雇以外の手段では対応できないのか。これらを説明できるかどうかが、会社側の立場を大きく左右します。

退職勧奨は、合意による出口です。普通解雇は、一方的な出口です。合意による出口は柔らかく見えますが、強制に変質すれば違法になります。一方的な出口は強力ですが、合理的理由と相当性を欠けば無効になります。どちらも、使い方を誤れば会社に跳ね返ってきます。

実務上、会社が雇用終了を考えたときにまず行うべきなのは、感情の整理ではなく、資料の整理です。雇用契約書、就業規則、評価資料、注意指導記録、面談記録、勤怠記録、業務上の支障、本人の弁明、配置転換可能性、退職条件。これらを確認したうえで、退職勧奨にするのか、普通解雇にするのか、もう少し改善指導を続けるのかを判断する必要があります。

結局のところ、退職勧奨・普通解雇の実務で大切なのは、「辞めさせたい」から出発しないことです。出発点は、「雇用を継続できない具体的理由があるのか」です。その理由が説明できる場合でも、まずは合意退職の可能性を探るのか、改善機会を与えるのか、解雇に踏み切るのかを慎重に選ぶ必要があります。

人事権は、人を採用し、配置し、評価し、処遇する権限です。しかし、雇用終了の場面では、その人事権が最も鋭い形で現れます。会社がその刃を抜くときには、理由、手続、記録、相当性がそろっていなければなりません。退職勧奨と普通解雇は、会社にとって必要な選択肢である一方、最も丁寧に扱うべき人事権の終盤戦です。

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