第19講 従業員による横領・私的流用が疑われるときの対応

第19講 従業員による横領・私的流用が疑われるときの対応

従業員による横領や私的流用が疑われる場面では、会社が最初に外してはいけないのは、「疑い」と「確定」を混同しないことです。放置すれば被害が広がるおそれがありますが、逆に、証拠が固まらないうちに犯人扱いしてしまうと、後で懲戒無効や解雇無効、名誉毀損的な紛争を招きかねません。刑法には横領罪・業務上横領罪が置かれており、民事上も不当利得返還や不法行為に基づく請求の問題があり得ますが、会社内部の初動としては、まず事実確認・被害拡大防止・手順整備を切り分けることが重要です。

最初にやるべきことは、処分の検討より先に、証拠の保全とアクセスの管理です。現金出納帳、会計ソフトのログ、領収書、振込記録、在庫記録、社用カード利用履歴、メール、チャット、入退室記録、防犯カメラ、承認フローなどを、改変されにくい形で確保します。ここで大事なのは、「何となく怪しい」資料を寄せ集めることではなく、いつ、誰が、どの権限で、何を出金・使用・持出ししたのかを時系列で再現できるようにすることです。後で懲戒や損害賠償に進むとしても、結局は客観資料の積み上げが中心になりますし、厚生労働省のモデル就業規則も、懲戒は就業規則に基づき、公正に行う必要があるとしています。

次に重要なのは、本人聴取を、結論を決め打ちせずに行うことです。横領や私的流用に見える事案でも、実際には仮払処理の未整理、社内ルールの曖昧さ、立替精算の遅延、承認権者との認識違いが混ざっていることがあります。他方で、本当に故意の流用である場合もあります。だからこそ、会社としては、資料を示しながら説明を求め、弁明内容を記録し、必要に応じて関係者聴取も行うべきです。懲戒処分は、労働契約法15条上、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない場合は無効とされ、解雇も同16条で同様の枠組みに置かれています。つまり、「怪しいから重く処分する」ではなく、「何が確認でき、何が未確認か」を分けて進める必要があるわけです。

そのうえで、事実確認中の暫定対応としては、追加被害を防ぐ措置を先に打つのが通常です。たとえば、金庫・通帳・印鑑・社用カード・会計権限・購買権限・在庫アクセスの見直し、複数承認化、担当変更、棚卸しのやり直しなどです。これは「処分」そのものではなく、管理上の防御です。ここをせずに従前どおり権限を持たせ続けると、後で会社側の管理の甘さも問題になりやすくなります。もっとも、本人を社内で公然と犯人扱いしたり、証拠不十分のまま懲戒解雇だけを先行させたりするのは危険で、管理措置と制裁措置は分けて考えるのが安全です。これは、懲戒の合理性・相当性が求められることからの実務上の帰結です。

また、会社がやりがちな誤りとして、損害額をそのまま給与から天引きすることがあります。労働基準法24条は、賃金を通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないと定めていますし、就業規則で減給の制裁を定める場合でも、同法91条による制限があります。したがって、会社に損害が出たからといって、当然に給与から自由に相殺・控除できるわけではありません。流用額の返還や損害賠償を求める問題と、賃金支払の問題は、安易に一体化しない方がよいです。

懲戒に進むかどうかは、就業規則上の根拠と、行為の性質・程度で決まります。厚生労働省のモデル就業規則では、故意又は重大な過失による重大損害、会社内での刑罰法規違反行為、職務上の地位を利用した私利追求、会社施設・物品等の無断私的使用などが懲戒解雇事由の例として挙げられています。他方で、同じ資料は、就業規則に定めのない事由による懲戒はできず、懲戒処分は同種事例との均衡も含めて公正でなければならないと明記しています。つまり、本当に横領型なのか、ルール違反型なのか、過失混入型なのかで、けん責・減給・出勤停止・普通解雇・懲戒解雇のどこまで行けるかは変わります。

さらに、懲戒解雇を選ぶ場合でも、手続を雑にしてよいわけではありません。厚労省モデル就業規則は、懲戒解雇として解雇予告手当を支払わず即時解雇するには、あらかじめ労働基準監督署長の解雇予告除外認定が必要であり、認定を受けないなら解雇予告手当を支払う必要があるとしています。したがって、「横領だから即日無給でクビ」という処理は、証拠面でも手続面でも危ないことがあります。重大事案ほど、中身は強く、手続は丁寧にが基本です。

民事上の回収は、返還請求と損害賠償請求を整理して行うのが基本です。会社資金や会社物品を法律上の原因なく受けていたなら不当利得返還の問題があり、悪意の受益者には利息付き返還となお損害があればその賠償が問題になります。また、故意・過失で会社に損害を与えたなら、不法行為に基づく損害賠償の構成もあり得ます。実務上は、返済計画付きの合意書、退職時の精算合意、保証人の有無、証拠との整合を見ながら進めることになります。

刑事対応については、証拠の質と会社の目的を見て決めるべきです。刑事告訴や被害届は、回収圧力として考えられがちですが、単に感情的に動くと、後で証拠不足や事実認定のズレでかえって混乱することがあります。他方で、会社資金の私的取得や在庫の持ち出しなどが客観資料でかなり固まっている場合には、刑法上の横領・業務上横領の問題として捜査機関への相談を検討する合理性があります。ここは、回収を優先するのか、刑事責任追及も視野に入れるのかで設計が変わる場面です。これは条文構造からの実務上の判断です。

結局のところ、従業員による横領・私的流用が疑われるときの対応は、
① まず証拠を固める
② 追加被害を止める
③ 本人聴取を丁寧に行う
④ 賃金天引きで雑に処理しない
⑤ 就業規則と処分の均衡を確認する
⑥ 民事回収と刑事対応を分けて考える
という流れに尽きます。

会社として本当に避けたいのは、被害そのものだけではありません。被害が出た後の処理まで雑で、回収も処分も手続も崩れることです。横領事案は感情が先に立ちやすい類型ですが、だからこそ、初動は冷静に、資料中心で進める方が最終的に強いです。

まとめ

従業員による横領・私的流用が疑われる場面では、刑法上の横領・業務上横領、民事上の不当利得返還・損害賠償、労務上の懲戒・解雇が並行して問題になります。

もっとも、疑いの段階で直ちに重処分へ進むのは危険で、証拠保全、本人聴取、権限停止などの暫定措置を先に整えるべきです。懲戒には就業規則上の根拠が必要で、処分は合理性・相当性を欠けば無効になり得ます。

また、損害額を給与から当然に天引きできるわけではなく、賃金全額払の原則や減給制裁の上限にも注意が必要です。したがって、この類型で大事なのは「怒ってすぐ切る」ことではなく、証拠・管理・処分・回収を順番に組み立てることです。

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