第12講 残業代トラブルを防ぐには|労働時間管理の基本
第12講 残業代トラブルを防ぐには|労働時間管理の基本

残業代のトラブルは、「会社がわざと払わなかった」という単純な話だけで起こるわけではありません。
むしろ中小企業では、そもそも労働時間をきちんと把握していなかったことから、後で大きな未払残業代問題に発展する例が少なくありません。厚生労働省が公表した令和6年度の監督指導結果でも、長時間労働が疑われる26,512事業場のうち11,230事業場で違法な時間外労働が確認され、4,016事業場では労働時間の把握が不適正として指導が行われています。さらに、令和6年に全国の労働基準監督署が取り扱った賃金不払事案は22,354件、金額は172億1,113万円でした。残業代問題は、決して一部の特殊な会社だけの話ではありません。
まず出発点として押さえるべきなのは、法定労働時間を超えて働かせれば、それだけで残業代の問題が出るということです。労働基準法32条は、原則として、使用者は労働者に休憩時間を除いて週40時間、1日8時間を超えて労働させてはならないと定めています。したがって、日々の現場感覚で「少し遅くまで残ってもらう」「忙しい月だけ伸びる」と運用していても、法的にはまずこの基準が起点になります。なお、常時10人未満の一定業種では週44時間の特例がありますが、これは例外です。通常はまず「1日8時間・週40時間」が基本線だと考えるべきです。
もっとも、会社が法定労働時間を超えて働かせることが一切できないわけではありません。
労働基準法36条は、いわゆる36協定を労働組合または労働者代表と書面で締結し、所轄官庁に届け出た場合には、その協定の範囲で時間外・休日労働をさせることができるとしています。逆にいえば、36協定なしに時間外労働を命じることは、少なくとも法令上はかなり危うい運用です。さらに、時間外や休日労働をさせた場合には、労働基準法37条により、通常賃金に一定率を上乗せした割増賃金の支払が必要になります。月60時間を超える時間外労働については、少なくとも50%以上の割増率が必要です。
ここでよくある誤解は、残業の事前申請がなければ残業代は不要だという考え方です。
もちろん、会社として事前申請制を設けること自体はあり得ます。しかし、実際には会社が仕事を割り振り、終業時刻後も対応せざるを得ない状態を放置していたのであれば、「申請がないからゼロ」とはなりにくいのが実務です。厚生労働省のガイドラインも、労働時間とは「使用者の指揮命令下に置かれている時間」であり、使用者の明示または黙示の指示により業務に従事する時間は労働時間に当たるとしています。つまり、命令書がなくても、実際の業務運営として残業せざるを得ないなら、労働時間と評価される余地があるわけです。
この点は、現場ではとても重要です。
たとえば、始業前の準備、終業後の後始末、すぐ仕事に戻れるよう待機している手待時間、参加が義務づけられた研修や、指示された業務学習の時間は、厚生労働省ガイドライン上、労働時間に当たり得る例として明示されています。会社が「それは自主的にやっていただけ」と言っても、客観的に見て業務上必要で、使用者の指揮命令下に置かれていたといえるなら、後で残業代請求の対象に組み込まれ得ます。だからこそ、残業代問題は「打刻時間」だけでなく、何を労働時間として扱うのかの認識ずれからも起こります。
そこで重要になるのが、労働時間の把握方法です。
厚生労働省の「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」は、使用者には労働時間を適正に把握する責務があり、労働者ごとの労働日ごとの始業・終業時刻を確認し、記録すべきだとしています。そして、その原則的な方法として、使用者が自ら現認するか、タイムカード、ICカード、パソコン使用時間の記録などの客観的な記録を基礎に確認・記録することを挙げています。要するに、「だいたい何時間くらい働いているはずだ」という感覚運用では足りず、日ごとの始業時刻と終業時刻を押さえることが基本です。
もっとも、中小企業では、自己申告制で勤怠を回している会社も少なくありません。
自己申告制それ自体が直ちに違法というわけではありませんが、ガイドラインは、やむを得ず自己申告制を採る場合には、対象労働者と管理者に十分な説明を行い、実態調査や補正を行い、入退場記録やパソコン使用時間などとの間に著しい乖離がある場合には補正すべきだとしています。さらに、自己申告できる時間外労働時間数に上限を設けて、それを超える申告を認めないなど、適正な申告を阻害する措置を講じてはならないとも示しています。したがって、自己申告制を使うなら、単に「各自で書いて出して」で済ませるのではなく、客観データとの突合と、過少申告を生まない運用が必要です。
実務上、残業代トラブルを防ぐには、まず勤怠記録と業務実態を一致させることが重要です。
タイムカード上は18時退勤なのに、メール送信履歴やパソコンログでは20時台まで仕事をしている。申告上は月20時間残業なのに、実際には毎日2時間以上の業務連絡が飛んでいる。こうしたズレがあると、後で紛争になったとき、会社側の勤怠管理の信用性が大きく落ちます。厚生労働省が労働時間把握不適正を理由に4,016事業場を指導していることからみても、単なる制度整備より、実際の記録の整合性が重要だといえます。
また、残業代トラブルは、固定残業代を入れておけば済むというものでもありません。
固定残業代制度を使う場合でも、何時間分の時間外労働に対応するのか、その対価部分がどこなのか、固定分を超えた場合の精算をどうするのか、といった点が明確でなければ紛争の火種になります。今回の第12講では細部には立ち入りませんが、少なくとも「固定残業代だから勤怠管理はざっくりでよい」という発想は危険です。割増賃金の支払義務そのものは、実労働時間の把握を前提にしています。
中小企業でまず整えたいのは、派手な制度よりも、むしろ地味な基本です。
誰が始業・終業時刻を確認するのか。
タイムカード、ICカード、PCログ、入退館記録のどれを基礎にするのか。
持ち帰り業務やチャット対応をどう扱うのか。
事前申請と事後実績がずれたときに誰が補正するのか。
管理職が部下に「この程度は付けなくていい」と言わない運用になっているか。
こうした点を詰めておかないと、制度があっても運用で崩れます。残業代問題は、法務の問題であると同時に、日々の労務管理の問題でもあります。
結局のところ、残業代トラブルを防ぐ基本は、
① 法定労働時間の基準を理解すること
② 36協定と割増賃金の仕組みを外さないこと
③ 労働時間の範囲を甘く見ないこと
④ 始業・終業時刻を客観的に記録すること
⑤ 自己申告制なら補正と検証を入れること
に尽きます。
残業代請求は、いったん紛争化すると、未払額だけでなく、会社の管理体制そのものが問われます。だからこそ大事なのは、請求された後の防御より、請求されにくい勤怠管理を先に作ることです。これが、中小企業における労働時間管理のいちばん実務的な意味です。
まとめ
労働基準法上、原則として労働時間は1日8時間・週40時間が上限であり、これを超えて働かせるには36協定の締結・届出が必要です。時間外・休日労働には割増賃金が必要で、月60時間超の時間外労働には少なくとも50%以上の割増率が求められます。
また、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、準備行為、手待時間、義務的研修なども労働時間に当たり得ます。使用者は始業・終業時刻を確認し、原則として現認またはタイムカード等の客観記録で把握すべきで、自己申告制を使う場合には補正や実態調査も必要です。
厚生労働省の令和6年度監督指導結果でも、違法な時間外労働や労働時間把握不適正は多数確認されており、令和6年の賃金不払事案も高水準です。したがって、残業代トラブル対策の本質は、請求が来てから争うことではなく、日々の勤怠管理を法と実態に合わせることにあります。