第12講 銀行・取引先・従業員は誰を社長とみるのか|法的支配と事実上の支配がずれるとき
第12講 銀行・取引先・従業員は誰を社長とみるのか|法的支配と事実上の支配がずれるとき

会社支配権紛争では、最後に必ず出てくる問いがあります。法的には誰が会社を代表するのかと、現実に誰が会社を動かしているのかは、しばしば一致しません。会社法349条は、代表取締役が株式会社の業務に関する一切の裁判上・裁判外の行為をする権限を有し、その権限に加えた内部的制限は善意の第三者に対抗できないと定めています。また、取締役会設置会社では、代表取締役の選定・解職は取締役会の職務です。つまり、条文の世界では、誰が代表権者かはかなり明確に組み立てられています。
しかし、支配権紛争の現場では、会社は条文だけでは動きません。銀行窓口で誰が説明しているか、主要取引先に誰の名で通知が届くか、従業員が誰の指示で動いているか、経理担当者が誰に通帳や印章を渡しているかで、会社の現実は先に傾きます。これは法的代表権を否定する話ではなく、法的支配と事実上の支配が時間差で動くという意味です。法務省は会社・法人の登記事項証明書や代表者事項証明書の取得手続を公表しており、対外的な代表者確認が登記情報と強く結びついていることが分かります。したがって、銀行や取引先がまず登記や肩書に反応するのは自然な流れだといえます。これは上記制度からの実務的な推論です。
ここで厄介なのが、肩書だけで外部の認識が動く場面です。会社法354条は、代表取締役以外の取締役に「社長」「副社長」その他株式会社を代表する権限を有するものと認められる名称を付した場合、その者がした行為について会社は善意の第三者に責任を負うとしています。つまり、法的には代表取締役でなくても、会社が外に向けて“この人がトップです”という外観を与えれば、第三者保護の問題が立ち上がります。支配権紛争では、登記だけでなく、名刺、通知文、社内外の呼称、取引先対応の履歴までが、誰を「社長」とみるかの材料になります。
一方で、会社内部の正統性は、やはり機関決定と記録に戻ります。取締役会設置会社なら、代表取締役の選定・解職は362条2項3号の問題であり、その前提には取締役会の適法な構成と決議が必要です。総会で取締役が入れ替わったなら、その総会決議の効力が830条・831条の不存在確認、無効確認、取消しの訴えで争われ得ます。したがって、外では一方が“社長らしく”振る舞っていても、内側ではその人の地位が崩れていることがあり得ます。支配権紛争の本質は、この外の見え方と内の法的根拠のねじれにあります。
このねじれが一番危ないのは、登記が動く前後です。東京地裁の商事保全資料は、役員の地位を仮に定める仮処分や職務執行停止等仮処分を想定し、役員変更登記申請がされている場合には、登記前後で保全の意味が大きく変わることを示しています。登記前なら、仮処分申立ての存在自体が登記手続に影響し得る場面がありますが、登記後は、相手方が外部に「自分が代表者だ」という外観をより強く持ちやすくなります。だから支配権紛争では、「本案で勝てるか」だけではなく、登記前に止めるか、登記後にどこまで巻き戻せるかが現実の勝負になります。
また、銀行・取引先・従業員が誰を社長とみるかは、株主構成や相続の問題とも切れません。会社法121条以下は株主名簿の作成・備置を定め、125条は株主名簿の閲覧等を認め、126条は会社から株主への通知を株主名簿記載の住所等に宛てて発すれば足りるとしています。つまり、会社内部の“正統な意思決定の入口”は、株主名簿と機関手続に依存しています。他方、創業者死亡後には民法上の共同相続や遺産分割が絡み、経営の現場では後継者っぽく見える者がいても、法的には株式帰属や権利行使者指定が未整理ということが起こります。ここでも、見た目のリーダーと法的な正統性は簡単には一致しません。
したがって、この類型で最初に確認すべきものは明確です。登記事項証明書、代表者事項証明書、株主名簿、定款、株主総会議事録、取締役会議事録、招集通知、取引先への通知文、名刺や肩書の使われ方、銀行口座や印章の管理状況です。法的支配をみる資料と、事実上の支配をみる資料を分けて集めないと、「誰が社長か」の議論はすぐに空中戦になります。支配権紛争では、法的代表権の証拠と、現実の統制の証拠は別物だと割り切る方が整理しやすいです。これは前記の法制度と裁判所実務からの実務的帰結です。
第12講の結論を一言でいえば、銀行・取引先・従業員が誰を社長とみるかは、単なる雰囲気では決まりません。登記、肩書、通知、機関決定、株主構成、口座・印章の支配が重なって、はじめて“事実上の社長”ができるのであり、その人が直ちに“法的に正しい社長”であるとは限りません。会社支配権紛争が厄介なのは、法的支配と事実上の支配がずれたまま、会社の外と中が別々に動いてしまうところです。