第16講 離婚協議書・公正証書はなぜ必要か|口約束で終わらせないために
第16講 離婚協議書・公正証書はなぜ必要か|口約束で終わらせないために

離婚の話合いがまとまりそうになると、つい「もう揉めたくないし、このまま口頭で決めて終わりにしたい」と考えがちです。
しかし、離婚では、決まったことそのものと同じくらい、それをどう残すかが重要です。法務省の「こどもの養育に関する合意書作成の手引き」でも、養育費の取決めは、後日その有無や内容をめぐって紛争が生じないよう、口約束ではなく書面に残し、できれば公正証書にするよう勧めています。
第16講では、離婚協議書と公正証書の違い、なぜ口約束では危ないのか、何を条項に入れるべきか、公正証書にする意味はどこにあるのかを整理します。
結論からいえば、離婚協議書は「合意内容を固定するため」に必要で、公正証書は「不払いのときに回収しやすくするため」に特に強い、という理解が実務的です。
1 口約束が危ないのは、後で「言った・言わない」になるからである
離婚の話合いでは、その場では「分かった」「払う」「会わせる」と言っていても、離婚後に態度が変わることが珍しくありません。
養育費、財産分与、慰謝料、面会交流、年金分割などは、離婚届を出した後にこそ実際の履行が問題になります。法務省資料が、養育費の取決めは後日の紛争防止のために書面化すべきだとするのは、まさにこのためです。
特に、離婚後は感情がさらにこじれたり、新しい生活が始まって優先順位が変わったりしやすいので、「あのときはそういう意味じゃなかった」「そんな約束はしていない」と争われやすくなります。
口約束は、その場では平和に見えても、後の紛争を先送りしているだけになりやすいのです。
2 離婚協議書は、まず「何を決めたか」を固定する文書である
離婚協議書は、当事者間で合意した内容を書面にまとめたものです。
これ自体で、離婚の合意、親権者、監護者、養育費、面会交流、財産分与、慰謝料などを整理して残すことができます。日本公証人連合会も、離婚に関する公正証書の典型的内容として、離婚の合意、親権者・監護権者、養育費、面会交流、慰謝料、財産分与、住所変更等の通知義務、清算条項、強制執行認諾などを挙げていますが、これは裏を返せば、離婚で最低限整理すべき論点の一覧でもあります。
つまり、離婚協議書の第一の役割は、強制執行以前に、合意内容を見える形にすることです。
「何をいつまでに払うのか」「子どもとどう交流するのか」「住宅ローンや名義変更はどうするのか」を明文化するだけで、後の蒸し返しはかなり減ります。
3 ただし、普通の離婚協議書だけでは、すぐに強制執行できないことがある
ここが重要な違いです。
裁判所の家事事件Q&Aは、当事者同士で養育費や婚姻費用について文書で合意しただけでは、強制執行ができるとは限らないと明示しています。強制執行ができるのは、調停・審判などの裁判所の手続や、公正証書によって、支払金額や支払時期が具体的に定められた場合に限られ、そうでない当事者間の合意については、改めて調停などで取決めをする必要があるとされています。
つまり、離婚協議書は大事ですが、それだけで「払わなければすぐ差し押さえられる」わけではないのです。
この違いを知らずに、書面だけ作って安心してしまうと、いざ不払いになったときにもう一段手続が必要になることがあります。
4 公正証書の強みは、「裁判を経ずに強制執行できる」点にある
公正証書が特に強いのは、金銭の支払について一定の条件を満たせば、裁判手続を経ずに強制執行に進める点です。
日本公証人連合会は、養育費、財産分与、慰謝料などについて、公正証書に①一定額の金銭支払の合意と、②支払わないときは強制執行されてもよいという受諾の定めを記載すれば、不履行時に裁判手続を経ずに強制執行が可能になると説明しています。法務省も、強制執行認諾文言のある公正証書でなければ、その公正証書によって強制執行を行うことはできないと案内しています。
実務的には、これが公正証書を作る最大の理由です。
養育費や慰謝料は、約束した直後より、数か月後、数年後に不払いになることが多いので、「払わなかったらどうするか」まで先に設計しておく意味があります。裁判所も、養育費・婚姻費用について公正証書による取決めがあり支払がない場合には、差押えなどの強制執行手続に進めると案内しています。
5 公正証書でも、何でも強制執行できるわけではない
ここも誤解が多いところです。
日本公証人連合会は、金銭以外の給付については、公正証書によって強制執行することはできないと説明しています。つまり、養育費や慰謝料の支払条項のような金銭給付には強いのですが、面会交流や謝罪文の交付、一定の行動を取る義務のような非金銭条項については、公正証書がそのまま差押えの根拠になるわけではありません。
したがって、離婚協議書や公正証書を作るときは、
金銭条項は「執行できるように具体的に」書く、
非金銭条項は「後で運用に困らないように具体的に」書く、
という発想が大切です。
6 何を協議書・公正証書に入れるべきか
離婚で決めるべき基本項目はある程度共通しています。
日本公証人連合会が示す離婚給付等契約公正証書の典型条項からみても、少なくとも、離婚の合意、親権者・監護権者、養育費、面会交流、慰謝料、財産分与、住所変更等の通知義務、清算条項は、通常よく問題になる項目です。年金分割を入れるなら、その情報も必要になります。
特に大切なのは、金額・時期・方法を具体的に書くことです。
たとえば「養育費を支払う」だけでは足りず、月額いくら、毎月何日限り、いつからいつまで、どの口座に振り込むか、といった点まで明記した方がよいです。裁判所のQ&Aも、強制執行できるためには、公正証書等で支払金額や支払時期が具体的に定められている必要があるとしています。
7 面会交流や通知義務も、曖昧にしない方がよい
面会交流は公正証書にしても金銭のように直接差し押さえられるわけではありませんが、それでも条項化する意味は大きいです。
日本公証人連合会は、離婚公正証書の典型条項として面会交流や住所変更等の通知義務を挙げています。養育費の支払や面会交流、双方の協議等を円滑に行うためには、住所や勤務先などを知っておく必要があるとも説明しています。
高葛藤事案ほど、「適宜協議する」だけでは後で破綻しやすいです。
面会交流なら、回数、日時、受渡し方法、連絡方法、学校行事や病気のときの扱いなどを、通知義務なら、どの範囲の変更をいつまでに知らせるかを、ある程度具体化しておく方が実務的です。これは、直接強制できるかとは別に、運用上の紛争を減らす効果があります。
8 清算条項は便利だが、入れ方を雑にしない方がよい
日本公証人連合会は、清算条項を「公正証書に記載した権利・義務関係のほかには、何らの債権債務がない旨を当事者双方が確認する条項」と説明しています。
これは、後から「まだ請求できるはずだった」と蒸し返されるのを防ぐ意味で有用です。
ただし、まだ整理し切れていない財産や、年金分割、税務上未確定の問題まであるのに、早々に広い清算条項を入れると、自分で後の主張を狭めることがあります。
便利な条項ほど、何を清算し、何を留保するかを意識して入れる方が安全です。
9 公正証書を作るときに必要な資料
公正証書は、思いついたその日に手ぶらで完成するとは限りません。
日本公証人連合会によれば、離婚給付契約公正証書では、当事者本人確認資料のほか、戸籍謄本が必要で、不動産の所有権移転を伴う財産分与がある場合は登記事項証明書や固定資産税納税通知書または固定資産評価証明書が必要です。年金分割を入れる場合には、年金番号が分かる年金手帳や年金情報通知書等も必要とされています。
つまり、財産分与や年金分割まで含めて公正証書化するなら、先に資料整理をしておく方がスムーズです。
これは公正証書の弱点というより、むしろ内容を曖昧にしないための仕組みだと考えた方がよいです。
10 費用はかかるが、「後で揉めるコスト」と比べるべきである
公正証書には手数料がかかります。
法務省は、公証人が職務の執行につき手数料等を受け、その額は公証人手数料令で定められると説明しています。日本公証人連合会の公証人手数料表でも、離婚の場合は、財産分与・慰謝料と養育費などを基礎に算定する仕組みが示されています。
ただ、実務上は、数万円の作成費用を惜しんで、後で養育費不払い・財産分与不履行で改めて調停や執行を要する方が、時間的にも精神的にも重くなりやすいです。
なので、公正証書は「高いか安いか」より、不履行リスクに備えるコストとして考える方が実務には合っています。
11 どんな事案で特に公正証書が向いているか
特に公正証書化を強く考えた方がよいのは、養育費、慰謝料、財産分与など、将来にわたる金銭支払がある事案です。
日本公証人連合会も、養育費や離婚給付の支払確保の方法として、公正証書の効力を活用することを説明しています。裁判所も、公正証書による取決めがあれば、支払がないときに差押え手続に進めると案内しています。
反対に、支払が一括でその場で終わる、争点がほとんどなく履行も現実に問題になりにくい、といった事案では、まず離婚協議書で足りる場面もあります。
ただし、その場合でも、口約束で済ませるより、最低限の書面化はしておいた方が安全です。法務省の手引きも、まずは書面化を勧めています。
12 まとめ
第16講のまとめです。
離婚協議書は、離婚条件を書面で固定するために必要です。公正証書はそれに加えて、養育費、慰謝料、財産分与などの金銭支払について、不払い時に裁判を経ずに強制執行しやすくするという強みがあります。ただし、そのためには、支払金額・支払時期を具体的に定め、強制執行認諾の定めを入れる必要があります。普通の当事者間合意書だけでは、直ちに強制執行できないことがあります。面会交流や通知義務のような非金銭条項も書いておく意味は大きいですが、公正証書がそのまま差押えの根拠になるのは主に金銭給付です。