第47講 訴訟で後遺障害を争う意味はあるのか|非該当でも裁判で変わるのか
第47講
訴訟で後遺障害を争う意味はあるのか|非該当でも裁判で変わるのか

自賠責で後遺障害非該当とされたとき、多くの方が「もう無理なのではないか」と感じます。しかし、法的には、自賠責の等級認定がそのまま民事訴訟を拘束するわけではありません。自賠責は自賠責の制度に基づく判断であり、裁判所は提出された証拠に基づいて独自に後遺障害の有無や程度を判断します。自賠責制度上も、後遺障害の有無や程度は自賠法施行令別表の等級を前提としつつ、最終的には医学的評価と因果関係の問題として扱われます。
もっとも、ここで誤解してはいけないのは、「裁判になれば自賠責より有利になる」という意味ではないことです。裁判所は、自賠責の結果を形式的に追認する義務はありませんが、だからといって簡単に逆の判断をするわけでもありません。結局は、訴訟でどれだけ証拠を補強できるかにかかっています。自賠責と同じ資料しか出てこないなら、裁判でも同じ評価に落ち着くことは少なくありません。
では、訴訟で争う意味があるのはどんな場合か。典型的には、第一に、自賠責段階では十分に提出できなかった証拠を訴訟で整理し直せる場合です。診療録の丁寧な分析、主治医意見書、画像の読影補足、家族や職場の陳述、生活実態の具体的立証など、自賠責の書面審査では十分に伝わらなかった事情を訴訟ではより立体的に示せます。
第二に、後遺障害そのものだけでなく、損害全体の評価が問題になる場合です。たとえば、厳密な等級論とは別に、就労制限、将来の治療の必要性、介護の負担、生活の質の低下などが損害額に反映されうる案件です。裁判では、等級認定の有無だけでなく、その症状が現実にどのような不利益をもたらしているかが問題になります。
第三に、高次脳機能障害や重度外傷のように、生活場面での変化が非常に重要な案件です。こうした事案では、単純な画像や診断名だけではなく、家族の観察、勤務状況、学校生活、介護の内容などが後遺障害の評価に深く関わります。資料の見せ方によって、裁判所の理解が大きく変わる余地があります。
一方で、訴訟が不向きな案件もあります。追加証拠が乏しい、通院経過に大きな空白がある、医学的裏付けが極めて弱い、症状の内容があまりに抽象的で生活実態とも結びついていない、という場合です。裁判は「奇跡の逆転装置」ではありません。むしろ、弱い案件は弱いまま可視化されることもあります。
それでもなお、訴訟に意味があるかを考えるべきなのは、後遺障害案件が本来「等級だけ」の事件ではないからです。自賠責は制度的な画一審査であり、裁判は個別事案の立証の場です。前者で拾い切れなかった事情を、後者で具体的に示せるなら、争う意味は十分あります。逆に、自賠責の結果だけを見て諦めるのも、裁判になれば何とかなると思い込むのも、どちらも危険です。
訴訟で後遺障害を争う意味があるかどうかは、「非該当だったかどうか」ではなく、「その評価を動かしうる材料があるかどうか」で決まります。結局はここでも、資料・経過・生活実態をどう積み上げるかが核心なのです。