第40講 既往症があると不利になるのか|素因減額の考え方
第40講
既往症があると不利になるのか|素因減額の考え方

交通事故の被害者に、事故前から何らかの病気や身体的特徴があった場合、加害者側から「もともとの事情が大きいのだから、その分は賠償すべきでない」という主張がされることがあります。これが、いわゆる素因減額の問題です。
素因とは、被害者側に存在した事情で、損害の発生や拡大に影響した要因をいいます。典型的には、既往症、加齢変化、体質、精神的脆弱性などが問題になります。たとえば、もともと腰椎や頚椎に変性があった、関節に持病があった、精神疾患の既往があったといった場合に、事故による症状との関係が争われることがあります。
もっとも、事故前に既往症があったからといって、当然に賠償額が減るわけではありません。大切なのは、その既往症や体質が、今回の損害にどの程度現実に寄与したのかという点です。加害者は、被害者をあるがままの状態で受け入れるのが原則であり、被害者が平均的な身体条件ではなかったからといって、安易に責任を軽くできるわけではありません。
たとえば、事故前には無症状で普通に生活・就労していたのに、事故を契機として症状が顕在化し、後遺障害が問題になった場合、単に画像上の変性があるというだけで大幅な素因減額を認めるのは相当でないことが多いです。中高年であれば、脊椎の変性所見などは相当程度みられるのが通常であり、それだけで事故との因果関係を弱めることはできません。
他方で、事故前から明確な症状があり、継続的な治療を受けていた場合や、事故が軽微であるのに重い結果が専ら既往症の進行によると考えられる場合には、一定の減額が検討されることがあります。つまり、事故が主因なのか、既往症が主因なのか、その寄与割合が問題になるのです。
精神的素因についても同様です。事故後にPTSDや抑うつ症状が問題になる場面で、もともとの性格傾向や精神的脆弱性が争われることがあります。しかし、人には個性や感受性の差があるのが当然であり、平均人からのずれを容易に「素因」として減額するのは慎重であるべきです。裁判実務でも、単なる性格傾向を理由に広く減額することには抑制的です。
素因減額が問題になるときは、医学的資料が重要になります。事故前後の通院歴、画像所見、既往歴、症状の推移、医師の意見などを丁寧に見ていく必要があります。そして、「以前から病気があった」という抽象論ではなく、「その既往症が、今回のどの損害に、どの程度寄与したのか」を具体的に検討しなければなりません。
実務上は、加害者側が素因減額を主張してくることは珍しくありません。とくに高齢者、脊椎疾患、精神症状の事案では頻出です。しかし、そこで大事なのは、既往症の存在自体に萎縮しないことです。事故前には普通に生活できていた、問題なく働けていたという事実は、それ自体が重要な反論になります。
素因減額は、被害者に酷な結果をもたらしやすい論点でもあるため、実務では慎重な判断が求められます。単に「もともと弱かったから仕方ない」という発想ではなく、事故がどこまで損害を現実化させたのかを冷静にみる必要があります。
ここまでで、後遺障害の賠償額の中核を成す慰謝料、逸失利益、喪失率、喪失期間、素因減額までを一通り見てきました。次のまとまりでは、示談交渉や訴訟で、これらの損害をどう主張立証していくかという実務の側面に進んでいきます。