第4講 賃貸借契約|賃料請求と明渡請求は何が違うのか
第4講
賃貸借契約|賃料請求と明渡請求は何が違うのか

賃貸借契約の紛争は、実務では一見よく似た顔をしていながら、賃料請求と明渡請求とで、訴訟上の骨格がかなり違います。賃料請求は、「賃貸借契約が続いていること」を前提に、その契約から生じる賃料債権の履行を求めるものです。これに対し、明渡請求は、「もうその物を占有し続ける権限はない」という状態を前提に、賃借人に目的物の返還を求めるものです。言い換えれば、賃料請求は継続中の契約関係からの金銭請求であり、明渡請求は終了した契約関係を前提とする返還請求です。この違いを曖昧にしたまま訴状や主張を組み立てると、事件全体の見通しが一気に悪くなります。
賃料請求の場面で、賃貸人側がまず押さえるべきなのは、どの物件について、誰との間で、いくらの賃料で、どの時期からどの時期まで賃貸借が存続していたかという点です。要件事実的にみれば、契約の成立、賃料額、支払時期、未払期間の特定が骨格になります。ここでは、まだ契約が続いていることが前提ですから、賃貸人側は、明渡しを求める事件ほど「終了原因」の主張に重心を置く必要はありません。むしろ、契約関係を基礎づける資料、賃料額を示す契約書や更新合意、入出金履歴、催告書、滞納一覧表などをどう配置するかが勝負になります。民法601条の賃貸借の基本構造自体が、使用収益と賃料支払の継続的交換関係を予定しています。
もっとも、賃料請求では、被告である賃借人側から「借りていたのは事実だが、約束どおりに使えなかった」「設備不良があった」「一部は使えなかった」という反論が出ることが少なくありません。この点、民法606条は、賃貸人に使用・収益に必要な修繕義務を課しており、607条の2は、一定の場合に賃借人自身が修繕できることを定めています。さらに611条は、賃借物の一部が滅失した場合その他使用収益ができなくなった場合に、それが賃借人の責めに帰すべき事由によらないときは、その不能部分に応じて賃料が減額されるという方向で整理しています。したがって、賃料請求事件では、単に未払いがあるかどうかだけでなく、賃料がそのまま満額発生していたのかという点が抗弁として前面に出てくることがあります。
ここで重要なのは、賃借人側が単に「不便だった」「少し困った」と言うだけでは足りないということです。611条の問題になるのは、賃借物の全部又は一部について、どの範囲で使用収益ができなくなっていたのか、そしてそれが賃借人の責めに帰すべき事由によらないのかという点です。ですから、賃貸人側からみれば、「本当に使用収益不能といえるレベルだったのか」「どの部分が、どの期間、どの程度使えなかったのか」「それは賃借人の管理不十分や用法違反に由来するのではないか」という形で切り返すことになります。賃料請求事件では、賃借人の不満や感覚論ではなく、使用収益不能の具体性が問われるのです。
これに対し、明渡請求では、話の中心は未払賃料そのものではなく、賃貸借契約が終了したかどうかに移ります。契約が続いている限り、賃借人には占有権原がありますから、賃貸人は原則として明渡しを求めることができません。そこで、賃貸人側は、期間満了、合意解約、債務不履行解除など、終了原因を特定して主張する必要があります。民法541条は催告による解除、542条は催告によらない解除を定めており、612条は、賃借人が賃貸人の承諾なく賃借権を譲渡したり転貸したりした場合に、賃貸人が契約を解除できることを定めています。また、620条は、賃貸借の解除の効力が将来に向かってのみ生じることを明記しています。明渡請求は、まさにこの「終了した後もなお返さない」という状態を対象にする請求です。
したがって、明渡請求での争点は、単に「賃料を払っていない」ことではありません。未払賃料は、しばしば解除原因の一部として位置づけられますが、訴訟上は、解除の意思表示がされたのか、催告が必要な場面でそれが尽くされたのか、解除時点で契約は終了していたのかが中心になります。要件事実的には、賃貸借契約の存在、終了原因、終了の意思表示又は期間満了、そしてその後も賃借人が目的物を返還していないことを順に積み上げる構造になります。賃料請求が「契約継続中の給付請求」であるのに対し、明渡請求は「契約終了後の返還請求」であるという違いは、ここに最も鮮明に表れます。
さらに、建物賃貸借では、民法だけでなく借地借家法が重なってきます。借地借家法27条は、建物賃貸借について賃貸人が解約申入れをした場合、申入れの日から6か月を経過することによって終了すると定めていますし、28条は、建物賃貸借の更新拒絶や解約申入れについて、正当事由を要件としています。したがって、建物の明渡請求では、民法上の終了原因を言えばそれで足りるとは限らず、どの終了ルートを採るのかによっては、借地借家法上のハードルも検討しなければなりません。建物の明渡しが、一般の動産や非建物の賃貸借より難しくなりやすいのは、この法構造によります。
実務では、これらの請求が一緒に出てくることも多くあります。たとえば、賃貸人側が、未払賃料請求と解除に基づく明渡請求を併合し、さらに解除後又は明渡し遅延中の損害金ないし使用利益相当額を請求する、という構造です。そして、明渡しの場面では、621条の原状回復義務や、622条の2の敷金返還・未払債務控除の問題が後続してきます。改正民法は、621条で通常損耗や経年変化は原状回復義務に含まれないことを明文化し、622条の2で敷金の定義、返還時期、未払賃料や原状回復費用等を控除した残額返還のルールを整備しています。つまり、明渡請求は、部屋を空けてもらって終わりではなく、その後に原状回復と敷金精算という第二段階の争点が続くことが多いのです。
結局のところ、賃貸借契約の紛争では、「家賃の問題」と「出ていってもらう問題」を一括りにしないことが重要です。賃料請求では、契約の継続を前提に、賃料債権の発生・額・未払期間と、修繕義務や使用収益不能に基づく減額抗弁が中心になります。これに対し、明渡請求では、契約終了の原因と時点、その後の無権原占有という構造が中核になります。ここをきちんと切り分けるだけで、訴訟の見取り図はかなり明瞭になります。賃貸借事件は身近な紛争類型ですが、要件事実的には、継続的契約関係からの金銭請求と、終了後の返還請求が交差する分野であり、その意味で非常に実務色の強い類型だといえるでしょう。