第10講 通院頻度はなぜ重要か|症状の一貫性と継続性の見られ方
第10講 通院頻度はなぜ重要か|症状の一貫性と継続性の見られ方

交通事故の後遺障害を考えるうえで、被害者の方が軽く見がちで、しかし実務では非常に重く見られるのが通院頻度です。多くの方は、「痛みやしびれが残っていること」が大事なのであって、「何回病院に行ったか」は本質ではないと感じるかもしれません。たしかに、理屈だけを見ればその感覚には一理あります。症状は通院回数の多寡だけで決まるものではありませんし、仕事や家庭の事情から思うように通えないこともあります。けれども、後遺障害認定や示談実務は、本人の頭の中の苦痛を直接見ることができない以上、どうしても「記録として残っている症状経過」に依拠せざるをえません。そうすると、通院頻度は、症状が本当に継続していたのか、事故後一貫して問題になっていたのかを推認する重要な材料になってくるのです。
まず押さえておきたいのは、通院頻度が重視される理由は、単に「たくさん通った人がえらい」という話ではないということです。実務で見られているのは、症状の一貫性と継続性です。事故直後から一定の頻度で通院が続き、その都度、痛みやしびれ、可動域制限などがカルテに記録されていれば、「事故後、この症状が継続していた」という流れが資料上見えやすくなります。逆に、通院がごく少ない、長い空白がある、途中で何か月も受診していないといった事情があると、「その間、本当に症状が続いていたのか」「もう改善していたのではないか」という疑問が生じやすくなります。通院頻度とは、症状そのものの代わりではありませんが、症状の存在を裏づける経過資料として機能しているのです。
特に神経症状の案件では、この点が非常に重要になります。骨折や明らかな器質損傷がある場合と違って、むち打ちや腰痛、しびれなどは、外見だけでは重さが見えにくく、画像所見も決め手に欠けることがあります。そのような事案では、症状がいつからどの程度続いてきたかという経過自体が、大きな意味を持ちます。そこに長い通院空白があると、認定実務の側はどうしても慎重になります。もちろん、空白があるから直ちに症状がなかったとはいえません。しかし、後遺障害認定はあくまで資料判断ですから、空白の理由が記録上見えない限り、「継続していた」と評価しにくくなるのです。
実務上よくあるのは、事故直後は比較的しっかり通院していたものの、仕事が忙しくなったり、症状に慣れてしまったりして、通院間隔がだんだん空いていくケースです。被害者本人としては、「治ったわけではないが、病院に行っても湿布と薬だけなので我慢していた」「忙しくて通えなかっただけだ」という感覚かもしれません。しかし、その事情が診療記録には残らないことが多いため、後から資料だけを見ると、「症状が軽くなったから通わなくなったのではないか」と受け取られやすくなります。ここに、被害者の実感と実務上の見え方のズレがあります。通院していない期間の苦痛は、本人には確かにあっても、記録がなければ後遺障害認定では見えにくくなるのです。
また、通院頻度は単に認定のためだけでなく、治療の必要性・相当性の判断とも結びつきます。事故後の一定期間、症状に応じた頻度で通院していれば、治療継続の必要性が自然に理解されやすくなります。これに対して、受診回数が極端に少ないのに長期間だけは続いているという形になると、「本当に治療として必要だったのか」「実際には経過観察程度だったのではないか」と見られることがあります。後遺障害認定においても、「強い症状が続いていた」と主張する一方で、月に一度あるかないかの通院しかないような場合には、その主張との間に距離があるように見えてしまいます。つまり、通院頻度は、症状の重さと治療の必要性をつなぐ指標としても読まれているのです。
もっとも、ここで誤解してはいけないのは、「とにかく通院回数を増やせばよい」という話ではないということです。実務で大切なのは、不自然に多い回数を作ることではなく、症状に見合った自然な通院経過です。明らかに症状が軽いのに過剰な頻度で通院していれば、それはそれで不自然に見られることがありますし、漫然治療ではないかと争われることもあります。必要なのは、医師の指示や症状の実態に沿った範囲で、無理のない頻度で通院を継続し、その経過がカルテに残ることです。後遺障害の実務は、作為的な回数づくりよりも、経過の自然さを重視します。
通院の空白が特に問題になるのは、その前後の症状経過が断ち切られて見えるからです。たとえば、事故後2か月は通院していたが、その後3か月受診がなく、さらにその後また通院が再開したという場合、資料上は「この3か月の間はどうだったのか」が見えません。その間もずっと痛かったのか、いったん良くなって後で再燃したのか、別の原因が加わったのかが不明になります。後遺障害認定は、事故から症状固定までの連続した流れを重視するため、この空白はかなり痛いのです。とりわけ、後から強い症状を主張する場合には、その空白期間の存在が一層不利に働きやすくなります。
もちろん、通院空白にはやむをえない事情があることも珍しくありません。仕事が忙しい、育児や介護で時間が取れない、遠方通院で負担が大きい、保険会社から治療費打切りを言われて迷ったなど、現実にはさまざまな事情があります。そのため、空白があること自体が直ちに致命的だというわけではありません。ただ、問題は、その事情が資料上見えにくいことです。診療記録に残らなければ、後から口頭で説明しても補強力には限界があります。だからこそ、通院が難しい事情がある場合でも、可能な範囲で受診し、症状の継続を医師に伝え、少なくとも完全に記録が途切れないよう意識することが重要になります。
また、通院頻度は後遺障害診断書の信用性にも影響します。最後の診断書に強い痛みやしびれ、可動域制限が書かれていても、それまでの通院がまばらで、カルテにも症状の連続性が乏しい場合には、「本当にそこまでの障害が継続していたのか」という疑問が残りやすくなります。逆に、事故直後から症状固定まで、一定の頻度で通院が続き、その都度同種の症状が一貫して記録されていれば、診断書の内容にも自然な裏づけが生まれます。診断書は最後に突然現れる書類ではなく、それまでの通院経過の集約ですから、通院頻度のあり方がそのまま診断書の説得力につながるのです。
示談交渉でも、通院頻度はしばしば争点になります。保険会社側は、通院回数や間隔を見ながら、症状の重さや治療の必要性を評価し、時には「通院が少ないから症状も軽いはずだ」という方向で主張してきます。もちろん、そのような見方が常に正しいわけではありませんが、少なくとも実務では、通院頻度が交渉材料として使われているのが現実です。裁判になっても、診療録の並び方、通院間隔、治療継続の経過は丁寧に見られます。つまり、通院頻度は単なる数字ではなく、事故後の症状経過を読み解くためのひとつの言語として機能しているのです。
被害者側として実務上大切なのは、「通えるときにだけ行く」という感覚ではなく、「症状を継続的に記録に残す」という視点を持つことです。強い症状があるのに通院をためらってしまうと、そのつらさが後から見えなくなりますし、逆に無意味に頻度だけ増やそうとしても不自然になります。要は、症状の実態に応じた通院を途切れさせず、その都度、どのような痛みやしびれが続いているのかを医師に伝え、カルテに反映してもらうことが大切なのです。通院は治療のためであると同時に、後遺障害実務では症状経過を証拠化する意味も持っています。
結局のところ、通院頻度が重要なのは、そこに症状の一貫性と継続性が現れるからです。後遺障害認定は、症状の存在を直接見るのではなく、カルテや診断書を通じて間接的に判断する仕組みです。そのため、一定の頻度で受診が続き、症状が継続して記録されていることは、「本当に事故後ずっと困っていた」という事実を支える大きな要素になります。逆に、通院の空白や頻度の乏しさは、本人に事情があったとしても、資料上は不利に働きやすいのが現実です。だからこそ、後遺障害を見据えるなら、通院は単なる治療行為ではなく、症状を記録し続けるための大事な過程として考える必要があります。
次回は、第11講として、ここまでの総論を踏まえつつ、より具体的な症状類型に入っていく流れで整理できます。