第9講 相続放棄と限定承認|借金があるときの考え方
第9講 相続放棄と限定承認|借金があるときの考え方

相続というと、預金や不動産を受け継ぐ場面を思い浮かべがちですが、実際には借金や保証債務が問題になることも少なくありません。
相続が始まると、相続人は、被相続人の権利だけでなく義務も承継し得るため、「財産があるか」だけでなく「負債がどこまであるか」を見なければなりません。裁判所も、相続開始後の選択肢として、単純承認、相続放棄、限定承認の三つを示しています。
このとき重要なのは、借金が不安なら、何もしないまま放置してはいけないということです。
裁判所の案内では、相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、単純承認、限定承認又は相続放棄をしなければならず、民法上も、その期間内に限定承認又は相続放棄をしなかったときは単純承認したものとみなされます。
1 まず押さえるべき三つの選択肢
相続開始後、相続人が取り得る基本的な選択肢は三つです。
第一に、被相続人の権利義務をすべて引き継ぐ単純承認、第二に、権利義務を一切引き継がない相続放棄、第三に、相続によって得た財産の限度で債務を負担する限定承認です。裁判所は、この三類型をそのまま整理して案内しています。
このうち、借金が問題になる場面で主に検討されるのが、相続放棄と限定承認です。
相続放棄は、最も分かりやすく、「相続人として一切引き継がない」という処理です。他方、限定承認は、「債務はあるかもしれないが、財産が残る可能性もあるので、相続財産の範囲内でだけ責任を負う」という中間的な仕組みです。これは裁判所の定義から導かれる実務的な整理です。
2 相続放棄とは何か
相続放棄は、被相続人の権利義務を一切受け継がないための手続です。
これをするには、家庭裁判所に相続放棄の申述をしなければなりません。申述先は、被相続人の最後の住所地の家庭裁判所です。
そして、相続放棄が受理されると、その人はその相続について初めから相続人とならなかったものとみなされます。
これは民法939条の効果であり、法務局の相続登記関係資料でも、相続放棄をした者は初めから相続人とならなかったものとみなされると整理されています。
この効果は実務上かなり大きいです。
単に「借金を払わなくてよい」というだけでなく、その人を外した形で次の相続関係を考えることになるからです。その結果として、他の相続人の持分や、場合によっては次順位の相続人が問題になることがあります。これは、相続放棄者が初めから相続人でなかったものとみなされるという法効果から生じる整理です。
3 限定承認とは何か
限定承認は、被相続人の債務がどの程度あるか不明であり、なお財産が残る可能性もある場合などに、相続によって得た財産の限度で債務を引き継ぐ制度です。
裁判所も、限定承認をそのように説明しています。全部を放棄するのではなく、「相続財産を超えて自分の固有財産で払うところまでは負わない」という発想に近い制度です。
この制度は、たとえば地方の不動産や未回収債権がありそうだが、事業借入れや保証債務の全体像が分からない、という場面で理論上は有力です。
もっとも、後で触れるとおり、限定承認は手続が軽くないため、実際には相続放棄ほど気軽には使われません。
4 3か月の熟慮期間が最大のポイントである
相続放棄も限定承認も、原則として、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内にしなければなりません。
裁判所は、相続放棄についても限定承認についても、この3か月の期間制限を明示しています。
この3か月を過ぎると、何もしなかったこと自体が不利に働きます。
民法上、熟慮期間内に限定承認又は相続放棄をしなかったときは、相続人は単純承認をしたものとみなされます。つまり、「まだ決めていないつもり」でいても、法律上は全部引き継ぐ扱いになる危険があるということです。
もっとも、相続財産の状況を調査してもなお判断できないときは、家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申し立てることができます。
裁判所は、相続人や利害関係人等からの申立てにより、この3か月の熟慮期間を伸長できると案内しています。したがって、借金の全体像がつかめないまま期限だけが迫る事案では、放置ではなく伸長申立てを検討すべきです。
5 相続放棄は一人でもできるが、限定承認は原則として全員で行う
相続放棄は、各相続人がそれぞれ申述する手続です。
裁判所の相続放棄案内でも、申述人は「相続人」とされており、相続人一人ごとに手続をする前提です。
これに対し、限定承認は、相続人全員が共同して行う必要があります。
裁判所の限定承認案内でも、申述人は「相続人全員」とされており、家事事件Q&Aでも、一部の人だけで限定承認の申述をすることはできないと明記されています。
ただし、すでに相続放棄をした人は別です。
裁判所Q&Aでは、相続放棄をした人は相続人ではなかったものとみなされるため、それ以外の共同相続人全員で限定承認を申述することになると説明しています。限定承認が実務上使いにくい理由の一つは、この「全員足並みをそろえる必要」がある点です。
6 限定承認は受理後の清算手続が重い
限定承認は、申述して終わりではありません。
裁判所Q&Aによれば、限定承認が受理された後は、限定承認者、または相続人が複数いる場合に同時に選任された相続財産清算人が、相続財産の清算手続を行わなければなりません。
しかも、その清算手続には、官報公告、債権届出、弁済、換価などが関わってきます。
裁判所Q&Aでは、限定承認者は、一定期間内に限定承認をしたことと債権請求をすべき旨の公告手続をし、その後、法律に従って弁済や換価などの清算手続を進めることになると説明しています。つまり、限定承認は「便利な中間策」ではありますが、手続負担は相続放棄よりかなり重いのです。
7 どんなときに相続放棄を考えるべきか
実務的には、明らかに負債超過が疑われる場合や、相続財産を引き継ぐ必要が特にない場合には、まず相続放棄が有力になります。
これは、相続放棄が一切の権利義務を引き継がない制度であり、各相続人が個別に選択できるからです。とくに、被相続人に多額の消費者金融債務、事業借入れ、保証債務、滞納があり、資産の見込みが乏しい場合には、放棄を中心に考えるのが自然です。これは制度趣旨に基づく実務的な評価です。
また、「遺産はすべて兄に相続してもらいたいので自分は放棄したい」というような相談もありますが、相続放棄は単なる取り分放棄ではなく、初めから相続人でなかったものとみなされる制度です。
そのため、単純に「自分の取り分を兄に譲る」というイメージで使うと、他の相続関係まで動くことがあります。この点は、遺産分割で調整すべき場面と、相続放棄を使う場面とを混同しないために重要です。
8 どんなときに限定承認を考えるべきか
限定承認を考えるのは、債務の全貌は不明だが、なお残余財産が出る可能性がある場面です。
裁判所も、限定承認を「債務がどの程度あるか不明であり、財産が残る可能性もある場合等」に使う制度として整理しています。たとえば、不動産や株式、貸付金などの資産がありそうだが、負債や保証関係が読めない事案が典型です。
ただし、限定承認は全員共同申述が必要で、受理後も公告・清算・換価の手続を伴います。
そのため、制度としては有用でも、実際には相続放棄より重く、家族内で協力が得られない事案や、早く整理したい事案には向かないことがあります。ここは制度の説明から一歩進んだ実務上の評価ですが、裁判所Q&Aの手続負担から十分裏づけられます。
9 放棄や限定承認を考えるときに注意すべきこと
相続放棄や限定承認を検討しているのに、相続財産を勝手に処分してしまうのは危険です。
民法上、相続人が相続財産の全部又は一部を処分したときは、単純承認したものとみなされる場合があります。少なくとも、借金が不安な事案で安易に財産を売却したり使い込んだりするのは避けるべきです。
また、3か月の起算点は、単に死亡日そのものではなく、相続開始の原因事実と、自分が相続人になったことを知った時が基準です。
さらに裁判所Q&Aでは、相続財産が全くないと信じ、そのように信じたことに相当な理由がある場合などには、相続財産の全部又は一部の存在を認識した時から3か月以内の申述で受理されることもあると説明しています。もっとも、これは個別事情に左右されるため、「昔の相続だからもう無理」と即断するのも、「いつでも放棄できる」と考えるのも危険です。
10 まとめ|借金が疑われる相続では、放置より先に選択肢を整理する
相続放棄は、相続人が被相続人の権利義務を一切受け継がないための手続であり、受理されると、その人はその相続について初めから相続人でなかったものとみなされます。
限定承認は、相続によって得た財産の限度で債務を引き継ぐ制度で、債務が不明だが財産が残る可能性もある場合に意味を持ちます。どちらも原則として3か月以内に家庭裁判所で手続を取る必要があります。
実務上は、明らかな債務超過なら相続放棄、債務の全貌は不明だが資産の残りもあり得るなら限定承認という整理が出発点になります。
ただし、限定承認は全員共同申述と清算手続を伴うため、制度上可能でも実際には使いどころを選びます。いずれにしても、借金が気になる相続では、まず財産と負債を調べ、3か月の期限を意識し、必要なら熟慮期間の伸長も視野に入れることが重要です。