第8講 医師にどう症状を伝えるか|診察室で伝わらないと不利になる理由
第8講 医師にどう症状を伝えるか|診察室で伝わらないと不利になる理由

後遺障害の実務では、診断書やカルテ、検査結果が重要だと繰り返し説明されます。しかし、その出発点にあるのは、日々の診察室で被害者本人が何をどう伝えてきたかという、ごく基本的なやり取りです。交通事故の被害者の方の中には、「痛いとは言っている」「しびれるとは話している」「先生もわかってくれているはずだ」と思っておられる方が少なくありません。けれども、実務では、その“伝えたつもり”と、カルテや診断書に“記録として残ること”との間にかなりの距離があります。そして、その距離が大きいほど、後遺障害認定では不利になりやすいのです。今回は、なぜ診察室での症状の伝え方が重要なのか、何を意識すべきなのかを整理します。
まず前提として、後遺障害認定は、本人の頭の中にある痛みや不自由をそのまま見てくれる手続ではありません。認定実務が見るのは、あくまで資料です。そして、その資料の中心にあるのが、医師の診療記録や後遺障害診断書です。つまり、被害者がどれほど強い症状に悩まされていても、それが診療の場で適切に伝わらず、カルテ上も曖昧なまま経過してしまえば、後から「症状が強かった」と主張しても資料上の裏づけに乏しいことになりかねません。後遺障害の実務では、症状の存在そのものと同じくらい、その症状が継続的・具体的に医療記録へ落とし込まれていることが重要なのです。
ここでよくあるのが、「いつも同じことを言っているから、細かく言わなくても先生はわかっているだろう」という発想です。たしかに、患者と主治医の関係としては、ある程度の文脈共有があるかもしれません。しかし、後遺障害認定の場で読まれるのは、その場の空気や主治医の記憶ではなく、最終的に残されたカルテの記載です。カルテに「頸部痛あり」「腰痛あり」とだけ書かれているのか、それとも「頸部から右上肢にかけてしびれが持続し、下向き作業や長時間のデスクワークで増悪」「腰痛のため30分以上の立位保持が困難」といった形で、症状の内容と生活上の影響がある程度見えるのかでは、後から資料を読む側の印象がかなり違います。つまり、“伝わっているはず”ではなく、“記録として残る形で伝わっているか”が問題なのです。
では、具体的に何を伝えるべきなのでしょうか。第一に重要なのは、症状の部位です。どこが痛いのか、どこがしびれるのか、どの関節が動きにくいのかを、できるだけ具体的に示す必要があります。「首が痛い」だけではなく、「首の後ろから右肩にかけて張る感じがある」「右手の親指から中指にかけてしびれがある」といったように、部位や広がり方がわかる伝え方が望ましいのです。神経症状では、しびれの範囲や左右差が重要になることがありますし、可動域制限では、どの動作でどこに痛みが出るのかが後から意味を持つこともあります。症状の場所が曖昧なままだと、客観所見や神経支配領域との対応関係も見えにくくなります。
第二に、症状の性質も重要です。痛み一つをとっても、ズキズキするのか、重だるいのか、刺すような感じなのか、動かしたときに強くなるのか、安静にしていても続くのかによって、実際の支障の意味合いは変わってきます。しびれであれば、感覚が鈍いのか、ピリピリするのか、力が入りにくい感じを伴うのか、といった違いがあります。もちろん、医師に文学的な表現を求める必要はありませんが、本人としては「何となくつらい」ではなく、「どうつらいのか」を整理して伝える意識が必要です。診察時間は限られていますから、抽象的な言葉だけでは十分に伝わらないことが少なくありません。
第三に大切なのは、症状がいつ、どのような場面で強く出るのかという点です。後遺障害の実務では、単に症状があるというだけでなく、その症状が生活や仕事にどのような支障を及ぼしているかが重要になります。たとえば、「朝は比較的ましだが、午後になると首の痛みが強くなる」「車の運転を30分以上続けると腰から足にかけてしびれが出る」「洗濯物を干す動作で肩が上がらず痛む」「長時間のパソコン作業で手のしびれが悪化する」といった具体的な説明は、症状の現実性や継続性を伝えるうえで意味があります。後遺障害認定では、日常生活や就労への支障が症状の重みを考える手がかりにもなるため、この部分が全く伝わっていないと、症状が軽く見られやすくなります。
また、症状の頻度や継続性も重要です。常に痛いのか、ときどきなのか、日によって波があるのか、改善しているのか横ばいなのか悪化しているのか。このような経過が記録上ある程度見えることが、後遺障害認定では重要になります。特に通院が長期にわたる場合、毎回まったく同じ記載でも困る一方、急に最後だけ強い症状が出てくるような形になっても、資料全体の整合性が疑われることがあります。したがって、毎回の診察で、その時点の実際の症状を無理なく具体的に伝え、経過が自然に記録として積み重なることが望ましいのです。後になってまとめて「ずっとつらかった」と言っても、通院中の記録がそれを支えていなければ、実務上は弱くなってしまいます。
ここで一つ気をつけたいのは、「大げさに言えば有利になる」というものでは決してないということです。後遺障害実務では、症状の一貫性と信用性がとても重要ですから、実際以上に強く言ったり、毎回場当たり的に違う訴え方をしたりすると、かえって全体の信頼性を損なうおそれがあります。大切なのは、誇張することではなく、遠慮しすぎず、しかし正確に伝えることです。日本では、診察室で「我慢できるから大丈夫です」「まあ少し痛い程度です」と控えめに言ってしまう方も少なくありませんが、その結果としてカルテ上は軽く見えてしまい、後から「本当はもっとつらかった」と言っても整合しなくなることがあります。診察室では、我慢強さよりも、記録としての正確さが重要な場面があるのです。
さらに、医師に対しては、単なる症状の申告だけでなく、必要に応じて生活上の具体的支障を伝えることにも意味があります。たとえば、「仕事で重い物を持つと痛みで続けられない」「子どもを抱き上げるのが難しい」「階段の昇降で膝が不安定になる」「字を書いていると手がしびれてくる」といった事情です。これらは、診断書にそのまま全部書かれるとは限りませんが、医師が症状の実態を理解し、必要な検査や評価につなげる手がかりになります。また、後遺障害診断書の自覚症状欄や今後の見通しにも間接的に影響しうるため、単に「痛いです」で終わらせず、どのように困っているかまで含めて伝えることに意味があります。
もちろん、診察室の時間は限られており、毎回十分に話せるとは限りません。そのため、症状の要点を自分なりに整理してから受診することは有効です。部位、症状の種類、悪化する場面、日常生活や仕事への影響、前回受診時からの変化などを簡単に頭の中でまとめておくだけでも、伝わり方は大きく変わります。特に、後遺障害が問題になりそうな事案では、「今日は何を伝えるべきか」を意識して診察に臨むことが重要です。診察は単なる通院の消化ではなく、症状経過を医療記録として積み上げていく場でもあるからです。
また、検査の必要性につながる訴えを見落とさないことも大切です。しびれが強くなっている、力が入りにくい、可動域制限が目立つ、夜間痛が強いなど、症状の変化によっては追加の画像検査や神経学的検査が考えられる場面があります。もちろん、どの検査を行うかは医師の医学的判断ですが、そもそも訴えが十分伝わっていなければ、検査の必要性自体が意識されにくくなります。後遺障害認定では他覚的所見が重視される以上、必要な検査につながる入口としても、日々の訴え方は無視できません。
結局のところ、後遺障害の実務で診察室が重要なのは、そこでのやり取りがカルテとなり、検査につながり、最終的には後遺障害診断書へと集約されていくからです。本人のつらさは、伝わらなければ記録にならず、記録にならなければ認定資料として存在しないのに近い扱いを受けます。だからこそ、医師に症状を伝える場面では、「わかってくれているはず」と期待するだけでは足りません。どこが、どうつらく、いつ困り、何ができないのかを、正確に、継続的に、記録に残る形で伝えることが大切です。後遺障害の認定は最後の診断書だけで決まるのではなく、診察室での積み重ねの上に成り立っているのです。
次回は、「カルテ・画像・検査結果はどう使われるか|資料の信用性の基本」を扱います。後遺障害認定で重視される客観資料が、実際にどのように読まれ、どこが評価の分かれ目になるのかを整理していきます。