第25講 精神疾患と労災|長時間労働・ハラスメントとの関係
第25講 精神疾患と労災|長時間労働・ハラスメントとの関係

精神疾患の労災は、単に「仕事がつらかった」「残業が多かった」だけで決まるものではありません。厚生労働省は、精神障害の労災認定について専用の認定基準を設けており、この基準は2023年9月に改正されました。改正では、カスタマーハラスメントの追加、感染症等の危険性が高い業務の追加、パワーハラスメント6類型の具体例明記などが行われています。
しかも、このテーマは今の実務でもかなり大きいです。厚生労働省が2025年6月に公表した令和6年度の労災補償状況では、精神障害に関する請求件数は3,780件、支給決定件数は1,055件で、支給決定事案の出来事別では、パワーハラスメントが224件、仕事内容・仕事量の大きな変化が119件、顧客等からの著しい迷惑行為が108件とされています。つまり、長時間労働だけでなく、ハラスメントや仕事量急増も中心的な争点になっています。
1 精神疾患の労災で見るのは、「病名」より「強い心理的負荷」である
厚生労働省のパンフレットは、精神障害は、仕事によるストレス、私生活上のストレス、個人の反応しやすさが重なって発病すると説明しています。そのうえで、労災認定されるのは、仕事による強いストレスが主な原因と判断できる場合に限るとしています。要するに、診断名が付いているだけでは足りず、仕事による強い心理的負荷が認められるかが中心です。
2 認定要件は三つある
厚生労働省の認定基準の骨格は、かなり明快です。要件は、①対象となる精神障害を発病していること、②発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められること、③業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したとは認められないこと、の三つです。ここでいう心理的負荷の強さは、本人が主観的にどう感じたかだけでなく、同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点で評価されます。
3 対象になる精神障害にも範囲がある
認定基準の対象は、ICD-10第V章の精神障害ですが、すべてがそのまま対象になるわけではありません。厚生労働省は、認知症や頭部外傷などによるF0、アルコールや薬物によるF1は除くとし、代表例として、うつ病などのF3、急性ストレス反応などのF4を挙げています。したがって、まず「労災認定基準の対象疾病か」という入口審査があります。
4 長時間労働は、精神疾患労災の重要な評価要素である
厚生労働省は、長時間労働も精神障害発病の原因となり得るとして、三つの視点から評価しています。まず、発病直前1か月におおむね160時間以上の時間外労働、または発病直前3週間におおむね120時間以上の時間外労働がある場合は、「特別な出来事」として強い心理的負荷の方向に働きます。さらに、仕事量の著しい増加で1か月おおむね100時間以上となった場合や、連続2か月で月120時間以上、連続3か月で月100時間以上の時間外労働なども、「強」評価の具体例として示されています。
ただし、ここで誤解しやすいのは、これらの数字が絶対基準ではないことです。厚生労働省は、上記時間数はあくまで目安であり、この基準に至らない場合でも心理的負荷を「強」と判断することがあるとしています。逆に言えば、100時間未満だから必ず労災にならない、というものでもありません。
5 ハラスメントは、今や認定実務の中心論点の一つである
2023年の認定基準改正では、心理的負荷評価表が見直され、カスタマーハラスメントが追加され、パワーハラスメント6類型すべての具体例が明記されました。現在の統計でも、精神障害の支給決定事案で最も多い出来事は、上司等からの身体的攻撃・精神的攻撃等のパワーハラスメントです。つまり、精神疾患の労災は、長時間労働一本で見る時代ではなく、ハラスメントを含む出来事評価がかなり前面に出ています。
さらに厚生労働省は、ハラスメントやいじめのように出来事が繰り返されるものについては、一体のものとして評価するとしています。そのため、発病前6か月より前に始まっていても、発病まで継続していたなら、その始まった時点からの心理的負荷を評価対象にしうるとしています。単発の暴言だけでなく、継続的な攻撃・孤立化・叱責の積み重ねが問題になるのはこのためです。
6 「仕事が原因っぽい」だけでは足りず、私生活要因や個体側要因も見られる
精神疾患の労災では、会社側が「家庭の問題ではないか」「もともとの体質ではないか」と反論してくることがよくあります。厚生労働省の基準でも、業務以外の心理的負荷と個体側要因は独立の審査項目で、私生活上の強いストレスや、既往症、アルコール依存などが明らかな場合には、それらも踏まえて慎重に判断するとされています。したがって、労災認定は、仕事の出来事だけを切り出して見るのではなく、仕事以外の要因を差し引いてもなお仕事が主因といえるかを見ます。
7 発病後の悪化も、業務起因性が問題になる
すでに精神障害がある人の症状悪化についても、仕事との関係が問題になります。2023年改正では、悪化前おおむね6か月以内に「特別な出来事」がない場合でも、業務による強い心理的負荷によって悪化したときには、悪化した部分の業務起因性を認める方向に見直されました。厚生労働省のパンフレットでも、その扱いが明記されています。つまり、「もともと病気があったから全部私傷病で終わり」とは限らない、ということです。
8 自殺事案でも、精神障害の労災認定が土台になる
厚生労働省は、業務による心理的負荷で精神障害を発病し、その精神障害によって正常な認識や行為選択能力、自殺を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったときは、原則としてその死亡は労災認定されるとしています。自殺そのものを単独で見るのではなく、先行する業務上精神障害の有無が中心になります。
9 実務で最初に集めるべきもの
この分野で最初に必要なのは、出来事の時系列です。厚生労働省の基準が、発病前おおむね6か月の業務上出来事を評価し、複数出来事や継続的ハラスメントも総合評価するとしている以上、実務上は、残業時間、勤怠記録、シフト、メール、チャット、業務命令、面談記録、相談記録、ハラスメントの録音やメモ、診断書、受診経過を、時系列で並べることが極めて重要です。これは条文の写しではなく、認定基準の構造からほぼ必然的に出てくる実務上の整理です。
特に長時間労働を言うなら、月ごとの時間外労働時間を見える化した方がよいですし、ハラスメントを言うなら、単発の出来事だけでなく反復継続性が分かる記録が重要です。現行統計でも、認定件数の上位にパワハラ、仕事内容・仕事量の大きな変化、顧客からの著しい迷惑行為が並んでいることからみて、何を軸に主張を組み立てるかがかなり重要だと分かります。
10 まとめ|精神疾患の労災は、「強い心理的負荷」を仕事との関係で組み立てる
精神疾患の労災では、診断名だけではなく、対象疾病か、発病前おおむね6か月に仕事による強い心理的負荷があったか、私生活要因や個体側要因で説明されないか、という三段階で見られます。長時間労働は重要ですが、それだけではなく、パワハラ、カスハラ、仕事内容や仕事量の大きな変化なども中心的な評価対象です。2023年改正と2025年公表統計は、その方向をかなりはっきり示しています。
この回を一言で言えば、精神疾患の労災は、「病気になった」ではなく、「仕事による強い心理的負荷で発病した」と組み立てられるかが勝負です。長時間労働とハラスメントは、その中心にある二大論点です。