第26講 使い込まれた預金はどうするか|生前引出し・死後引出しの問題
第26講
使い込まれた預金はどうするか|生前引出し・死後引出しの問題

相続実務で非常によく揉めるのが、「本当はもっと預金があったはずなのに、誰かが使ったのではないか」という問題です。しかも、これには大きく二つあります。被相続人の生前に引き出されていた場合と、被相続人の死亡後に引き出されていた場合です。見た目は似ていますが、法的な整理の仕方は少し違います。まず出発点として押さえるべきなのは、遺産分割が原則として対象にするのは、相続開始時に存在し、かつ現に存在する遺産だということです。そのため、生前または死後に払い戻されて既に口座から消えている預金は、当然には遺産分割の対象にはなりません。大阪家庭裁判所や松江家庭裁判所の案内でも、処分された財産は原則として遺産分割で扱うことができる遺産にはならず、現存する遺産が分割対象だと整理されています。
したがって、「Aが勝手に引き出したのだから、その金額をそのまま遺産分割表に戻して計算すればよい」という発想は、法律上は自動的には通りません。法務省の改正資料でも、相続開始の前後に一部の相続人が無断で被相続人名義の預金口座から払戻しを受けた場合、そのようなものは遺産分割の対象となる遺産の範囲には属さず、不法行為又は不当利得の問題として民事訴訟で解決されるべきものと説明されています。家庭裁判所の実務案内も、相続人全員の合意がない場合には、預貯金の払戻しや使途不明金は民事訴訟など別の手続を利用しなければ解決できないとしています。
もっとも、ここで実務上とても大事なのは、全員が合意すれば、遺産分割の中で一体的に処理できる余地があるということです。松江家庭裁判所の案内では、生前払い戻された預貯金や死後払い戻された預貯金は、相続人全員の合意があれば遺産分割「調停」と「審判」で扱うことができると整理されています。さらに、被相続人が2019年7月1日以降に死亡した場合で、民法906条の2第2項の「遺産分割前に遺産に属する財産を処分した相続人」が確定していれば、死後に払い戻された預金については、その相続人以外の相続人全員の合意で足りるという扱いも、家庭裁判所の案内に明記されています。つまり、死後引出しについては、改正後は全員一致でなくても遺産分割手続に取り込みやすくなった場面があります。
では、生前引出しと死後引出しは、どこが違うのでしょうか。生前引出しは、その時点ではまだ被相続人本人の財産管理の問題ですから、無断で払戻しがされたなら、被相続人がその相続人に対して不当利得返還請求権などを持っていたのではないか、という構造で捉えやすくなります。これに対し、死後引出しは、相続開始後にいったん共有状態に入った遺産を誰かが処分したという構造になり、そこで民法906条の2第2項の問題が出てきます。法務省の部会議事録でも、相続開始前に相続人が被相続人に無断で預貯金を払い戻した場合には、被相続人がその相続人に対して不当利得返還請求権を取得することが問題になると説明されています。
もっとも、生前引出しだからといって、常に「使い込み」になるわけでもありません。松江家庭裁判所の案内は、Aが無断で引き出したのではなく、被相続人が生前にAへ贈与したことが判明した場合には、Aの特別受益として遺産分割手続で取り扱う可能性があると整理しています。つまり、生前引出しには少なくとも三つの見方があり得るのです。第一に、本人の了解のない無断払戻しとして不当利得・不法行為の問題とみる見方。第二に、本人からの贈与として特別受益の問題とみる見方。第三に、そもそも使途が説明され、他の相続人も問題にしないことで争点化しない見方です。実務では、この見立てを誤ると議論が噛み合わなくなります。
死後引出しでも、同じように整理が必要です。大阪家庭裁判所の案内によれば、被相続人死亡後に他の相続人が預貯金を引き出した場合、その処分された財産は原則として遺産分割調停で当然に扱える遺産にはなりません。ただし、先ほど述べたとおり、相続人全員の合意があれば調停・審判で扱うことができ、2019年7月1日以降の相続で処分した相続人が確定していれば、その相続人以外の同意で足りる場合があります。したがって、死後引出しは「勝手に引き出されたから当然に取り戻せる」でもなく、「もう遺産ではないから完全に終わり」でもなく、合意の有無と時期で処理ルートが変わる問題です。
この種の事案で実務上いちばん大切なのは、証拠で詰めることです。家庭裁判所の案内では、「もっと財産があるはずだ」と主張するだけでは遺産分割手続で取り扱えず、その存在を裏付ける資料を収集して裁判所に提出する必要があるとされています。また、大阪家庭裁判所も、被相続人にどのような遺産があるのかについては相続人自身で必要資料を集める必要があり、裁判所が遺産を探してくれるわけではないと明言しています。したがって、通帳、取引履歴、払戻請求書、キャッシュカードの管理状況、領収書、送金記録、介護費や医療費への支出の裏付けなどを積み上げないと、「使い込まれた」という主張は前に進みません。
結局のところ、この問題はこう整理すると分かりやすいです。生前引出しは、無断払戻しなら不当利得・不法行為の問題になりやすく、贈与と認められれば特別受益の問題になり得る。死後引出しは、原則として現存遺産ではないが、合意があれば遺産分割手続に取り込める余地があり、2019年7月1日以降の相続では民法906条の2第2項の特則も効いてくる。そして、どちらも合意がなければ、最終的には民事訴訟等の別手続が必要になりやすい。つまり、「使い込み」と一言でまとめず、いつ、誰が、どの権限で、何のために引き出したのかを分解して見ることが重要です。
第27講では、ここで出てきた論点を本格的に扱うために、特別受益とは何か|生前贈与や援助は相続でどう調整されるのかに進みます。生前にもらっていたお金や不動産が、単なる思い出話ではなく、相続分の調整問題になる場面です。