第5講 遺言だけで足りるのか|公正証書遺言、家族信託、持株対策の使い分け

第5講 遺言だけで足りるのか|公正証書遺言、家族信託、持株対策の使い分け

富裕層の相続対策でよくある誤解は、「とりあえず遺言を書いておけば十分ではないか」というものです。もちろん、遺言は相続対策の中核です。しかし、富裕層の相続では、問題は単に「死亡後に誰へ何を渡すか」だけではありません。賃貸不動産を誰が管理するか、判断能力が落ちた後に資産をどう動かすか、会社を誰が支配して運営するかといった、別の次元の課題が重なります。したがって、公正証書遺言、家族信託、持株対策は、優劣の関係というより、解くべき問題の種類が違う道具だと理解したほうが正確です。

1 公正証書遺言が強いのは、「死亡時の配分」を明確にする場面である

民法は遺言の方式として自筆証書、公正証書、秘密証書を定めています。中でも公正証書遺言は、公証人と証人2名の関与の下で作成され、原本が公証役場に保管され、相続開始後に家庭裁判所の検認も不要です。そのため、方式違反、紛失、隠匿、改ざんといった実務上よくある事故を避けやすく、「誰に何を承継させるか」をはっきり残したい場面では、非常に強い手段です。

特に、財産の所在が整理されていて、相続発生時に配分を明確にしたいという局面では、公正証書遺言がまず第一候補になります。富裕層でも、問題の中心が「最終的な帰属の指定」にあるなら、遺言の価値は大きいです。どの不動産を誰に、どの預金を誰に、自社株は誰に、という最終配分の指示を残す手段としては、やはり遺言が基本です。

ただし、公正証書遺言が強いのは、あくまで死亡後の効力を中心とする点です。遺言だけで、本人の生前、特に認知症などで判断能力が低下した後の財産管理や処分まで、柔軟に回すことには限界があります。ここで家族信託の出番が出てきます。これは、遺言が弱いというより、守備範囲が違うということです。

2 家族信託が強いのは、「生前管理」と「承継の連続設計」である

法務局の案内では、家族信託は、自分の財産を信頼できる家族等に託し、あらかじめ定めた信託目的に従って、管理・処分・承継する手法だと説明されています。また、本人が認知症などで判断能力を失った場合でも、その目的に応じて財産を柔軟に活用できる点が強調されています。つまり、家族信託は「死後の分け方」だけでなく、「生きている間に誰がどう管理するか」を扱えるのが大きな特徴です。

中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、信託は設計の自由度が高く、遺言に代わる手法として注目されていると整理されています。さらに、本人の判断能力が低下した場合の管理への影響を減らし、死亡時には後継者へ確定的に承継させ、遺産分割による経営の空白期間を避けるメリットがあるとされています。したがって、収益不動産の管理、資産管理会社の株式、事業用株式の承継など、「管理の継続」が重要な財産がある場合には、家族信託が遺言より前に問題を解くことがあります。

さらに、家族信託は、いわゆる後継ぎ遺贈型受益者連続信託のように、一次承継だけでなく、その次の承継まで視野に入れた設計が可能です。信託法にも、受益者の死亡により次の者が新たに受益権を取得する定めを置ける類型が存在します。ここは、公正証書遺言だけでは届きにくい領域です。たとえば、「まず配偶者に利益を受けさせ、その後は長男、その次は長男の子へ」というような連続的な設計は、信託のほうがなじみやすい場面があります。

もっとも、家族信託は魔法の道具ではありません。中小企業庁のガイドラインも、法務・税務の両面からの事前検討が不可欠であり、遺言との比較や併用も含めて設計すべきだとしています。要するに、家族信託は「遺言の代わり」になることもありますが、実務では「遺言を不要にする仕組み」ではなく、「遺言では足りない部分を補う仕組み」として使う場面が多いということです。

3 持株対策が必要なのは、「相続」ではなく「支配権」が問題になる場面である

会社オーナーの相続では、単に株式を財産として分ければ済むわけではありません。株式は財産であると同時に、議決権を通じた会社支配の道具でもあります。会社法は、種類株式の発行や、非公開会社における株主ごとの異なる取扱いを認めており、中小企業庁のガイドラインも、事業承継でこれらを使い分けることを前提に説明しています。

具体的には、後継者には普通株式を集中させ、他の相続人には無議決権株式を持たせる、そこに配当優先条項を付けて経済的な不満を和らげる、あるいは株主の死亡を条件とする取得条項付種類株式で株式の散逸を防ぐ、といった発想です。また、非公開会社では、議決権や配当について株主ごとに異なる扱いを定めることも可能であり、現経営者の判断能力低下への備えとして活用されることもあると整理されています。これは、遺言や家族信託だけでは処理しきれない、「会社をどう壊さずに引き継ぐか」という問題に正面から対応するための手当てです。

その意味で、持株対策は「相続対策の一部」ではありますが、性格としては会社法上のガバナンス設計に近いものです。誰が議決権を持つのか、誰に拒否権を残すのか、相続や死亡で株式が分散したときにどう回収するのかという問題は、遺言書の文言だけでは片付きません。会社がある家では、遺言・信託・持株対策のうち、持株対策こそが本丸になることもあります。

4 結局、どう使い分けるべきか

実務感覚として整理すると、公正証書遺言は「死亡時の最終配分」を明確にする基本装備です。まずこれを外す理由は通常ありません。家族関係が比較的安定しており、財産も主として不動産・預金・上場株式で、論点が“誰が取得するか”に尽きるなら、公正証書遺言を中心に組み立てるのが素直です。

これに対し、収益不動産が多い、資産管理会社がある、本人の高齢化に伴い認知症リスクを意識する、あるいは「配偶者の後は長男、その後は孫へ」といった連続的な承継を考えたいなら、家族信託を重ねて考える意味が大きくなります。信託は、配分そのものより、管理・処分・承継のプロセス設計に強いからです。

さらに、会社オーナーで自社株が相続財産の中核を占めるなら、持株対策はほぼ不可欠です。遺言で「長男に自社株を相続させる」と書くだけでは、議決権の集中、他の相続人の不満緩和、相続後の散逸防止までは十分に処理できません。ここでは、公正証書遺言で帰属を示しつつ、必要に応じて信託や種類株式を組み合わせる発想が現実的です。

5 まとめ

遺言だけで足りるか、という問いに対する答えは、「何を解決したいのかによる」です。死亡時の帰属を明確にしたいなら、公正証書遺言が最も基本的で強い手段です。判断能力低下後の管理や、一次承継の先まで含めた柔軟な設計が必要なら、家族信託が視野に入ります。会社を残すことが核心なら、持株対策を抜きにしては考えにくいです。

富裕層の相続では、重要なのは「どの制度が一番すごいか」ではありません。公正証書遺言は配分、家族信託は管理と連続承継、持株対策は支配権と散逸防止、というように、それぞれの守備範囲を見極めて組み合わせることです。むしろ、本当に危ないのは、一つの制度だけで全部片付くと思ってしまうことです。

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