第17講 持ち帰り残業・始業前準備・着替え時間|見えにくい労働時間をどう考えるか
第17講 持ち帰り残業・始業前準備・着替え時間|見えにくい労働時間をどう考えるか

残業代の相談では、「タイムカード上は定時なのに、実際にはもっと働いている」という場面がよくあります。典型的なのが、始業前の準備、終業後の後始末、制服や保護具への着替え、朝礼、清掃、そして自宅へ仕事を持ち帰る持ち帰り残業です。こうした時間は、会社からは「準備だから」「自主的にやっただけ」「家でやった分は自己研さんだ」と片づけられがちですが、法的には、使用者の指揮命令下に置かれていたかで判断されます。厚生労働省のガイドラインも、労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、明示または黙示の指示により業務に従事する時間は労働時間に当たると整理しています。
この回で大事なのは、「見えにくい時間」は全部自己責任だと早合点しないことです。始業前だから、事業場の外だから、自宅だから、という理由だけで労働時間から外れるわけではありません。逆に、少し早く来て雑談していただけの時間まで当然に労働時間になるわけでもありません。結局は、その時間に仕事をすることを義務付けられていたか、または余儀なくされていたかがポイントです。
1 基本は「指示されたか」だけでなく「余儀なくされたか」まで見る
厚生労働省のガイドラインは、使用者の明示の指示だけでなく、黙示の指示でも労働時間になりうることを示しています。つまり、「命じてはいないが、実際にはそれをしないと仕事が回らない」「上司も分かっていて容認していた」という状態でも、労働時間と評価される余地があります。労災認定実務の参考資料でも、使用者の具体的指示や命令の状況、業務量のため時間外労働を余儀なくされていたかなどを調査し、客観記録が乏しくても、指揮命令下で実際に労働していたと合理的に推認できるなら労働時間として特定するとされています。
したがって、「上司から明確に命令された証拠がないから終わり」とはなりません。実際には、職場の運用や業務量、納期、上司の認識によって、労働者が仕事をせざるを得なくなることがあります。この場面では、命令の有無だけでなく、やらないと現実に回らなかったのか、会社もそれを認識していたのかが重要になります。
2 始業前準備は、業務に必要で義務づけられていれば労働時間になる
厚生労働省系資料は、使用者の指示により、就業を命じられた業務に必要な準備行為や、業務終了後の後始末を事業場内で行った時間は労働時間に当たると明示しています。具体例として、所定の服装への着替え、清掃、朝礼などが挙げられています。
たとえば、工場で保護具装着が義務づけられている、店舗で開店前の準備やレジ立上げが必要、朝礼に実質参加が求められている、といった場合です。厚生労働省の参考資料でも、始業前の朝礼参加が実態として義務づけられていたとして労働時間と評価された例や、所定始業時刻前にパソコンを立ち上げ書類やメール確認をしていた時間を業務従事時間と評価した例が示されています。
3 着替え時間は、いつでも労働時間になるわけではない
着替え時間については、よく誤解があります。厚生労働省系資料は、指定の制服や保護具への着替えが事業主の指示により必要で、事業場内で行うことが予定されている場合には、その時間は労働時間に当たるとしています。他方で、制服や作業着の着用が任意であったり、自宅から着てくることが認められている場合には、労働時間に当たらないと整理しています。
つまり、着替え時間のポイントは、「着替えた」という事実ではなく、その着替えが業務のために義務づけられていたかです。事業場内での更衣が事実上必須で、怠れば就業できない、懲戒や不利益評価の対象になるような場合には、労働時間性が強くなります。逆に、単に自分の都合で早めに来て着替えていたにすぎないなら、直ちに労働時間とは言いにくいです。
4 早く来ていた時間が全部労働時間になるわけではない
ここは会社側の反論とも重なるので大事です。厚生労働省系資料では、交通混雑の回避や駐車場確保などの理由で労働者が自発的に早く会社に到着し、始業時刻まで業務に従事せず、指示も受けていない場合には、労働時間に当たらないとされています。労災認定参考資料でも、早めに出勤していた事実だけでは足りず、出勤直後から直ちに業務に従事せざるを得ない事情や具体的必要性が確認できない場合には、所定始業時刻を始業時刻と評価した例が示されています。
したがって、争点は「何分前に来ていたか」だけではありません。早く来て、ぼんやりしていたのか、雑談していたのか、それともメール確認、書類準備、朝礼準備、清掃などの業務に入っていたのかで評価が変わります。早出の事実だけで機械的に請求できるわけではなく、何をしていたかを具体化する必要があります。
5 後始末や清掃も、業務に関連し義務づけられていれば入る
終業後の後始末も見落とされやすいですが、厚生労働省のガイドラインと参考資料は、業務終了後の業務に関連した後始末、たとえば清掃等を事業場内で行った時間は労働時間に当たるとしています。タイムカードを打刻した後でも、会社の指示で後片付けや清掃をしていたなら、その時間は切り捨ててよいものではありません。
この場面では、終業打刻後の清掃、片付け、レジ締め、引継ぎ、施錠確認などが典型です。会社が「打刻後は自主的にやっていただけ」と言ってきても、実際には店舗運営上当然に必要で、現場で恒常的に行われていたなら、労働時間性はかなり問題になります。
6 持ち帰り残業は、自宅だからといって当然に外れない
持ち帰り残業についても、法理は同じです。厚生労働省の参考資料では、自宅で行った作業であっても、上司から翌日の会議資料作成を帰り際に依頼され、自宅で行わざるを得なかったケースについて、業務命令に基づき自宅で業務を行うことを余儀なくされたものとして労働時間に当たると評価しています。
つまり、自宅でやったという場所だけで、労働時間性は消えません。会社の明示指示がある場合はもちろん、帰り際の依頼や納期設定によって、事実上その日のうちに自宅でやるしかない状況に置かれていたなら、なお労働時間になりえます。判断の中心は、事業場内か自宅かではなく、会社の業務としてやらされていたかです。
7 ただし、持ち帰り残業は全部が労働時間になるわけではない
他方で、持ち帰り残業は何でも認められるわけではありません。厚生労働省の同じ参考資料でも、家に仕事を持ち帰るように指示されたり、余儀なくされたりしていたとはいえず、作業内容や時間の具体的疎明も乏しく、成果物などの客観的裏付けもない部分については、労働時間に当たるとは評価されていません。
ここはかなり重要です。持ち帰り残業の請求では、「家でずっと考えていた」「少しメールを見た」だけでは弱くなりやすいです。何の作業を、いつ、どれくらい行い、その作業が会社の指示または業務上の必要から生じていたのか、成果物や送信記録で裏づけられるかが問われます。
8 研修・学習時間も、義務づけられていれば入る
厚生労働省のガイドラインは、参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講や、使用者の指示により業務に必要な学習等を行っていた時間も労働時間に当たるとしています。したがって、「自主勉強扱い」にされていても、実態として参加が義務的で、受けなければ仕事にならない、あるいは評価に影響するような場合は、労働時間性が問題になります。
これは美容師、医療、介護、IT、営業などで特によく出ます。営業時間外の練習、勉強会、朝会、研修が、本当に自主的なのか、実際には強制・半強制なのかを分けて考える必要があります。実質的に強制されたり余儀なくされたりしている事情が確認できなければ労働時間とまではいえない一方、義務づけや黙示の強制があれば入ってきます。
9 証拠は「何をしていたか」と「なぜそれが必要だったか」を残す
この論点で証拠として重要なのは、単に何時にいたかだけではありません。厚生労働省の参考資料は、タイムカード、出勤簿、業務日報、入退場記録、警備記録、開錠記録、PCログ、ファックスやメール送信記録などを収集対象として挙げています。始業前準備や持ち帰り残業では、こうした客観記録に加えて、何の業務をしていたのか、誰の指示だったのか、やらないとどうなったのかを結び付けることが大切です。
たとえば、始業前なら朝礼案内メール、清掃当番表、開店準備マニュアル、着替え義務のある服装規程が効きます。持ち帰り残業なら、帰り際の依頼メール、夜間ログイン記録、送信した資料、翌日の会議資料そのものが効きます。要は、存在した時間だけでなく、業務として必要だった理由まで証拠化することです。
10 まとめ|見えにくい時間も、「義務づけ」や「余儀なさ」があれば労働時間になる
始業前準備、着替え、朝礼、清掃、持ち帰り残業は、いずれも見えにくく、会社が労働時間の外に押し出しやすい場面です。しかし、厚生労働省の整理は一貫しており、使用者の指示または黙示の指示の下で、業務として義務づけられ、または余儀なくされて行っていたなら、それらの時間は労働時間になりえます。逆に、自発的な早出や任意の着替え、自主的な持ち帰り学習のように、業務上の必要や拘束が弱いものは入りにくいです。
この回のポイントを一言で言えば、見えにくい時間も、会社の仕事として必要だったなら、消えないということです。始業前だから、自宅だから、着替えだから、というラベルではなく、その時間が本当に会社の指揮命令下にあったかを見ていくことが重要です。