第36講 退職届を出してしまった|撤回できる場合とできない場合
第36講 退職届を出してしまった|撤回できる場合とできない場合

退職届や退職願を感情的に出してしまったとき、最初にやるべきことは、「もう出したから終わりだ」と思い込まないことです。法的には、これが合意退職の申込みなのか、それとも一方的な辞職の意思表示なのかで、撤回できるかどうかが変わります。そして実務では、文書の表題だけでなく、記載内容やその前後のやり取りまで見て判断されます。厚生労働省も、「退職願」は承認を求める申込みである場合と、承諾の有無にかかわらず辞めるという意思表示である場合の二つがあり得るとし、単純に題名だけで決まるわけではないと説明しています。
まず、合意退職の申込みにすぎない場合です。この場合は、会社が承諾するまでは撤回できます。厚生労働省のQ&Aでは、退職願が「退職をしたいので承認してほしい」という趣旨なら、承諾が会社から到達するまで合意は成立せず、その間は撤回可能だとされています。しかも、直属上司に提出していても、退職承認権限のある者に届く前なら撤回できる場合があると説明されています。ですから、勢いで退職願を出したがすぐに思い直した、という場面では、まだ誰にどう届いているかが非常に重要です。
これに対し、一方的な辞職の意思表示と評価される場合はかなり厳しくなります。厚生労働省は、無期労働契約における辞職について、労働者の意思表示が会社に到達した時点で効力が発生し、そこから原則2週間で退職の効果が生じると説明しています。そして、この類型では、会社に到達した後に労働者が一方的に撤回することはできないと整理しています。つまり、まだ退職日が来ていなくても、会社に到達した時点で撤回不能になるのが原則です。ここは誤解されやすいのですが、「2週間後に辞めるのだから、その間は自由に撤回できる」というわけではありません。
もっとも、現実には「これは退職願なのか退職届なのか」が曖昧なことが少なくありません。この点について厚生労働省は、区別がつかないときは、辞職はそれだけで雇用終了という重大な効果を持つことから、合意退職の申込みと考えると説明しています。したがって、書面の題名が「退職届」でも、記載内容ややり取りが曖昧で、本人の最終的・確定的な辞職意思まで読み取れないなら、撤回可能な余地が残ることがあります。労働者側から見れば、ここはかなり重要な反論ポイントです。
ただし、合意退職の申込みであっても、会社が既に承諾していれば事情は変わります。厚生労働省の裁判例整理では、大隅鉄工所事件について、退職承認に特別な方式は不要であり、権限者が受理した段階で承諾があったと評価され得ることが示されています。さらに、厚労省の労働者向け解説でも、会社が承認した後にどうしても撤回したい場合には、会社の同意が必要になるとされています。要するに、撤回の可否は「退職日が来たか」よりも、権限者による承諾がもう成立しているかで決まりやすいのです。
他方で、退職の意思表示が真意ではなかった、あるいは錯誤・詐欺・脅迫があったという場合には、別の争い方が出てきます。厚生労働省の裁判例整理は、「真意ではない」「錯誤による」「懲戒されることはないのにされるかのように脅された」退職の申出は無効になると整理しています。また、厚労省Q&Aでも、退職勧奨にやむなく同意した場合でも、詐欺・脅迫・錯誤に当たれば意思表示は取り消し得ると案内しています。したがって、「撤回できるか」という話と、「そもそもその退職意思表示は有効だったのか」という話は分けて考える必要があります。後者に乗ると、単純な撤回期限論よりも広い争い方が可能になります。
実務的には、感情的に出してしまったと気付いたら、すぐに、書面やメールなど証拠が残る形で撤回の意思を伝えることが重要です。合意退職の申込み型なら、承諾前に撤回したことを明確に残す必要がありますし、圧迫面談や退職強要の流れで書かされたなら、その経緯、発言、同席者、録音、メモも確保すべきです。厚生労働省も、退職勧奨は拒否でき、執拗になって退職強要となる場合は違法になり得るとしていますから、単なる「気が変わりました」ではなく、どういう場面で、どんな圧力の下で提出したのかを押さえることが大切です。
なお、無期契約では辞職の申入れから原則2週間で終了という整理ですが、有期契約では途中退職に「やむを得ない事由」が必要となるのが原則で、また1年を超える一定の契約では1年経過後に退職できるという別のルールがあります。もっとも、第36講の中心はそこではなく、一度出した文書が、撤回可能な申込みなのか、到達で効力が固まる辞職なのかを見極めることにあります。
要するに、第36講で押さえるべきことはこうです。退職届を出してしまっても、直ちにあきらめる必要はありません。撤回できることもあります。ただし、それは「まだ合意が成立していないこと」が前提であり、会社の承諾が済んでいる場合や、一方的辞職として会社に到達している場合には、一気に難しくなります。他方で、圧力、脅し、錯誤、真意でない提出であれば、そもそもの有効性自体を争えることがあります。つまり、この問題は「出したかどうか」だけでなく、何を、誰に、どの趣旨で、どの段階まで出したのかで決まるのです。