第17講 相続放棄とは何か|借金が多いときだけの制度ではない
第17講
相続放棄とは何か|借金が多いときだけの制度ではない

相続放棄というと、「借金が多そうなときに使う制度」という理解が一般的です。もちろんそれは間違っていません。裁判所も、相続開始後に相続人が選べる三つの道として、単純承認、相続放棄、限定承認を挙げ、そのうち相続放棄を「被相続人の権利や義務を一切受け継がないもの」と説明しています。つまり、相続放棄は、被相続人の財産も負債もまとめて受け継がないという、かなり強い選択です。
もっとも、相続放棄は「負債超過のときだけの非常手段」と捉えると、制度の実際の使いどころを狭く見過ぎます。相続放棄をすると、その相続については初めから相続人とならなかったものとみなされます。これは民法939条の効果です。したがって、相続放棄の意味は、単に借金を回避することにとどまりません。遺産分割協議に関与しない、共有関係に入らない、相続手続の当事者から外れるという意味も持ちます。被相続人と疎遠で、財産調査や協議に関わる実益が乏しい場合や、他の相続人に一任したい場合にも、放棄は現実的な選択肢になり得ます。
ここで重要なのは、相続放棄は「何もしなければ放棄になる」制度ではないという点です。裁判所は、相続放棄や限定承認をするには、家庭裁判所にその旨の申述をしなければならないと案内しています。申述先は被相続人の最後の住所地の家庭裁判所で、相続放棄については申述人となる相続人が個別に行います。限定承認が相続人全員の共同申述を要するのとは違い、相続放棄は一人ひとりが単独で選べる制度です。ここは実務上かなり大きな違いです。
期間にも注意が必要です。民法915条は、相続人が、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、単純承認、限定承認又は放棄をしなければならないと定めています。裁判所も、相続放棄の申述期間はこの3か月であると案内しています。この3か月は、死亡日から機械的に数えるというより、「自己のために相続の開始があったことを知った時」から進む熟慮期間です。したがって、相続の発生を知ったのに漫然と放置してしまうと、放棄の余地を失う危険があります。
ただし、3か月で必ず結論を出し切らなければならないとは限りません。裁判所は、この熟慮期間内に相続財産の状況を調査しても、なお承認・放棄・限定承認のいずれをするか決定できない場合には、家庭裁判所が申立てにより期間を伸長できると説明しています。つまり、財産や負債の全貌がすぐに分からない案件では、いきなり慌てて放棄するだけが正解ではなく、まず期間伸長を申し立てて調査時間を確保するという進め方もあり得ます。
他方で、相続放棄を考えているのに、先に相続財産を処分してしまうと危険です。民法921条は、相続人が相続財産の全部又は一部を処分したときは、原則として単純承認をしたものとみなすと定めています。e-Govの民法の掲載でも、その条文趣旨が示されています。つまり、放棄するつもりであっても、先に財産を自分のもののように動かしてしまえば、後から「やはり放棄します」とは言いにくくなるのです。相続放棄は、申述書を出すかどうかの問題であると同時に、それまでにどう振る舞うかの問題でもあります。
したがって、相続放棄が問題になる場面では、「何をもらうか」より先に、「もう受け継ぐ前提の行動をしていないか」を点検する必要があります。被相続人名義の預金を使い込む、不動産を勝手に処分する、遺産を自分の所有物として扱う、といった行動は、後の放棄判断を難しくし得ます。他方で、裁判所の制度説明が示すように、放棄は権利義務を一切受け継がない選択ですから、本当に放棄を考えるなら、最初から「相続人として動き過ぎない」ことが実務上重要になります。
また、相続放棄をすると、その人だけが相続関係から抜けるため、他の相続人の範囲が変わることがあります。放棄した者は初めから相続人とならなかったものとみなされるので、順位や頭数の計算にも影響します。だからこそ、放棄は個人の都合だけの話ではなく、相続全体の構造を動かす選択でもあります。もっとも、それでも限定承認と違って他の相続人全員の同意を要する制度ではないため、「自分は関与しない」という意思を個別に確定できる点に、相続放棄の実務上の使いやすさがあります。
結局のところ、相続放棄とは、被相続人の権利義務を一切受け継がず、その相続について初めから相続人でなかったものとみなされる制度です。借金回避の場面が典型ではありますが、それだけではありません。遺産分割の当事者から外れたい、共有や紛争に巻き込まれたくない、調査や管理の負担を負いたくないという場面でも、放棄には意味があります。ただし、家庭裁判所への申述が必要であり、原則3か月の熟慮期間があり、その前に相続財産を処分すると単純承認とみなされる危険がある。この三点を押さえておくことが、相続放棄の入口では決定的に重要です。
第18講では、ここをさらに掘り下げて、相続放棄の期限はいつまでか|3か月の熟慮期間をどう考えるかを扱います。放棄の成否は、しばしばこの期限理解で決まります。