第9講 配転・転勤命令に従わないといけないのか|人事権の限界

第9講 配転・転勤命令に従わないといけないのか|人事権の限界

会社から突然、「来月から別の部署へ」「来週から別の支店へ」「県外へ異動してほしい」と言われることがあります。会社側はしばしば「人事異動は会社の権限です」と説明します。たしかに、配転や転勤について、会社には一定の裁量が認められています。厚生労働省の裁判例整理でも、就業規則に転勤や配置転換を命じる旨の定めがあり、実際に異動が行われていて、雇用契約で勤務地や職種が限定されていない場合には、企業は労働者の個別同意なしに転勤や配置転換を命じうるとされています。

もっとも、それは「会社が好きに飛ばせる」という意味ではありません。同じ整理の中で、業務上の必要性がない場合、不当な動機・目的がある場合、または労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合などには、配転・転勤命令は権利の濫用になりうるとされています。つまり、配転や転勤は、原則として会社の裁量の領域にあるが、無制約ではない、というのが出発点です。

1 まず押さえたいのは、「原則として命じうる」が「何でもありではない」ということ

最高裁の東亜ペイント事件を踏まえた厚生労働省の整理では、勤務地限定や職種限定の合意がなく、就業規則等に異動命令の根拠があり、実際にその会社で異動運用が行われているような場合、会社は個々の同意を取り直さなくても勤務場所を決定しうるとされています。会社側が「全国転勤のある総合職として採っている」「人事異動条項がある」と言うとき、まず見ているのはこの枠組みです。

ただし、同じ東亜ペイント事件系の整理でも、転居を伴う転勤は労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えるため、命令権は無制約ではなく、濫用は許されないとされています。したがって、会社に人事権があることと、その具体的な異動命令が有効であることは別問題です。ここを一緒にすると、「人事権があるなら全部従わないといけない」という雑な結論になってしまいます。

2 有効性をみる最初の分かれ目は、「限定合意」があるかどうかである

配転・転勤の紛争では、まず、勤務地や職種が契約で限定されているかが大きな分かれ目です。厚生労働省のQ&Aでも、特定地域から通える範囲でしか働けないのであれば、一般的な労働契約ではなく勤務地限定の特約を締結する必要があると案内されています。裏からいえば、そうした限定合意がなければ、一般には会社の異動命令権が広く認められやすいということです。

そして、限定合意がある場合には話が変わります。厚生労働省の配置転換判例整理は、職種限定合意がある職種が廃止される場合であっても、企業は個別同意なしに合意に反する他職種への配置転換を命じることはできないと明示しています。さらに、2024年4月26日の最高裁判決として紹介されている滋賀県社会福祉協議会事件では、職種・業務内容を技術職に限定する黙示の合意がある以上、使用者はその同意なしに総務課施設管理担当への配転を命じる権限自体を有しないとされました。

この滋賀県社会福祉協議会事件はかなり重要です。従来も限定合意は問題になっていましたが、近時の最高裁が、黙示の職種限定合意を前提に「そもそも命令権がない」という形ではっきり示した意味は大きいです。したがって、採用時の説明、職種欄の記載、長年の運用、専門職としての採用経緯などから限定合意が読み取れるかどうかは、今後いっそう重要になります。

3 限定合意がない場合でも、権利濫用なら無効になる

勤務地や職種の限定がない場合でも、会社の命令が常に有効になるわけではありません。厚生労働省の整理によれば、配転・転勤命令が権利濫用となりうる典型は三つです。第一に、業務上の必要性がない場合。第二に、不当な動機・目的をもってなされた場合。第三に、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合です。

この三つは、実務ではそのままチェックリストになります。会社が本当にその人を異動させる必要があるのか。退職に追い込む、嫌がらせをする、内部告発者を外す、といった不当目的はないか。家庭状況、介護、子の養育、健康状態などを踏まえてもなお、その不利益は「普通に我慢すべき範囲」と言えるのか。この順に見ていくと、かなり整理しやすくなります。

4 「業務上の必要性」は、そこまで高いハードルではない

ここで注意したいのは、業務上の必要性のハードルです。東亜ペイント事件の整理では、業務上の必要性とは、その人でなければ絶対にだめという高度の必要性に限られず、企業の合理的運営に寄与する点が認められれば足りるとされています。つまり、「代わりがゼロでないなら必要性なし」とまでは言えません。会社側の必要性判断には一定の幅があります。

そのため、労働者側が異動の無効を主張するなら、「必要性が弱い」というだけでは足りないことがあります。たとえば、組織再編や人員配置の見直し自体にはそれなりの合理性がある場合、争点はむしろ、不当目的や不利益の大きさに移っていくことが多いです。ここは「会社の必要性は広めに見られやすい」という感覚を持っておいた方が、現実に近いです。

5 他方で、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」は本当にある

会社側がよく使うのは、「転勤には多少の不便はつきものです」という言い方です。確かに、その程度の一般論はあります。しかし、判例整理上も、生活上の不利益が大きいときは権利濫用になりえます。厚生労働省の配置転換裁判例では、家族介護の状況などを考慮すると、転勤による不利益が非常に大きく、通常甘受すべき程度を著しく超えるとして、命令が無効とされたネスレ日本事件が紹介されています。

また、厚生労働省の転勤裁判例資料でも、育児・介護の事情に対する配慮の有無は、ただちに違法性を決めるものではないが、その不利益が著しいか、権利濫用かどうかの判断に影響すると整理されています。つまり、家族介護や養育の事情は「個人的事情だから会社は無関係」と片づくものではなく、異動命令の有効性判断そのものに入ってきます。

6 不当な動機・目的がある配転は、かなり危ない

配転・転勤は、表向きは「人事異動」でも、実際には退職勧奨の延長、内部告発者の排除、組合活動への報復などとして使われることがあります。厚生労働省の資料でも、退職させることを目的とした配転命令が違法とされた事例があるとされています。不当目的が認められると、たとえ外形上は人事権の行使に見えても、権利濫用と評価されやすくなります。

この場面では、会社が表向きに述べる理由だけでなく、前後の経緯が重要です。たとえば、問題提起をした直後に不自然な異動が出た、周囲に似た立場の人は動いていないのにその人だけが遠隔地に飛ばされた、異動先での職務内容が実質的に意味を持たない、といった事情が重なると、不当目的の立証に近づきます。これは法文というより、判例法理を使う際の実務感覚です。

7 命令を拒否したらどうなるのか

労働者として一番気になるのは、拒否するとどうなるかでしょう。この点も、命令が有効か無効かで大きく変わります。東亜ペイント事件では、最高裁は転勤命令自体を有効とみて、それに従わなかったことを理由とする懲戒解雇も有効方向で原審を破棄差戻ししました。逆にいえば、有効な転勤命令を正当理由なく拒否すると、懲戒の問題が現実化しうるということです。

しかし、命令自体が無効なら話は逆です。勤務地限定・職種限定合意に反してそもそも命令権がない場合や、権利濫用に当たる場合には、その命令に従わなかったことだけで不利益処分を正当化するのは難しくなります。つまり、「拒否できるか」は単独の問題ではなく、元の配転命令の有効性判断にぶら下がっています。

8 2024年4月以降は、将来の転勤・配転の範囲も明示事項になっている

近時の実務で重要なのは、2024年4月から、労働契約締結時および有期契約更新時に、雇入れ直後の就業場所・業務だけでなく、その「変更の範囲」も明示しなければならなくなったことです。募集段階でも、従事すべき業務の変更の範囲、就業場所の変更の範囲の明示が必要になっています。つまり、いまは会社も、将来どの範囲まで転勤・配転がありうるのかを以前より見える形で示すことが求められています。

この改正は、配転・転勤紛争にも効いてきます。採用時書面や求人票に「変更範囲:変更なし」「転勤の可能性なし」とあったのか、それとも全国拠点まで含むのか。ここは後の限定合意や期待形成の判断材料になります。今後は、異動トラブルの初動で、この明示書面を必ず確認すべきです。

9 実務でまず確認したいもの

配転・転勤命令を受けたら、まず確認すべきは、労働条件通知書、雇用契約書、求人票、就業規則です。特に、勤務地や職種の限定が書いていないか、変更範囲の明示がどうなっているか、人事異動条項があるかを見ます。次に、過去の運用です。その会社で本当に異動が頻繁に行われてきたのか、自分の職種はもともと地域限定だったのか、採用時説明と実際の運用にズレがないかを確かめます。

そのうえで、家庭事情や健康事情は遠慮なく具体化した方がよいです。介護、育児、持病、通院、子の進学、配偶者の就労など、生活上の不利益の中身は後から抽象的に語るより、命令時点で具体的に示した方が争いやすいです。近時の裁判例整理でも、家族介護や家庭事情は、不利益の著しさを評価する重要事情として扱われています。

10 まとめ|人事権は広いが、境界線ははっきりある

配転・転勤命令について、会社に広い裁量があること自体は否定できません。勤務地や職種の限定がなく、就業規則等に根拠があり、実際に異動運用がある会社では、個別同意なしの異動命令も原則として認められます。しかも、業務上の必要性は「その人しか無理」という水準までは要求されません。

しかし、その裁量には境界線があります。勤務地限定・職種限定の合意があるなら、そもそも命令権が否定されることがあります。限定合意がなくても、必要性がない、不当目的がある、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益があるといった特段の事情があれば、配転・転勤命令は権利濫用として無効になりえます。人事権は広いが、無限ではない。これがこの分野の基本です。

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