第7講 労働条件の不利益変更とは何か|給料・手当・勤務ルールを会社は変えられるか
第7講 労働条件の不利益変更とは何か|給料・手当・勤務ルールを会社は変えられるか

会社で働いていると、ある日突然、「来月から給料体系を変える」「手当を見直す」「転勤ありにする」「勤務時間を変える」「定年制度を導入する」といった話が出ることがあります。会社側は「経営判断です」「就業規則を変えました」と説明しがちですが、だからといって、会社が一方的に不利益な変更を自由にできるわけではありません。厚生労働省は、労働条件の変更は原則として労働者と使用者の合意によるべきであり、使用者が一方的に就業規則を変更しても、原則として労働者に不利益な変更はできないと整理しています。
もっとも、ここで終わらないのが労働法の難しいところです。合意がなくても、一定の場合には、就業規則の変更によって不利益変更が認められることがあります。労働契約法10条は、その変更が合理的であり、変更後の就業規則が周知されている場合には、変更後の就業規則によることを認めています。つまり、結論は単純な「同意がないから全部無効」でも「就業規則を変えたから全部有効」でもなく、どのような変更か、どういう経緯で行われたか、どの程度の不利益かを丁寧に見ることになります。
1 出発点は「労働条件は勝手に変えられない」である
労働契約法8条の出発点は明快です。労働者と使用者が合意すれば、労働契約の内容を変更できます。裏からいえば、合意がなければ、契約内容を勝手に変えることはできない、ということです。厚生労働省も、労働条件の変更は双方の合意が前提だと説明しています。
この原則は、給料、手当、勤務時間、休日、勤務地、職務内容など、労働契約の中核に広く及びます。会社が「うちはこう決めた」と言っても、それだけで個別の約束が当然に変わるわけではありません。まずは、何が契約上の条件だったのかを確認する必要があります。雇用契約書、労働条件通知書、就業規則、採用時の説明などが出発点になります。これは前講までの話ともつながります。
2 ただし、合意がなくても就業規則で変えられる場合がある
もっとも、労働条件は個々の労働者ごとに全部バラバラに決まるわけではなく、現実には就業規則によって統一的・画一的に運用される場面が多いです。そのため労働契約法9条・10条は、会社が一方的に就業規則を変えたからといって不利益変更は原則できないとしつつも、例外として、合理的な変更であり、かつ変更後の就業規則が周知されている場合には、変更後の規則によることを認めています。
ここで重要なのは、就業規則を変えたという事実だけでは足りないことです。必要なのは、合理性と周知です。会社側が「規則を改訂したので従ってください」と言うだけでは足りず、その変更が法的に見て通る内容かどうかが問われます。
3 何が「合理的」かは、いくつかの要素を総合して判断される
労働契約法10条の合理性は、ひとつの要素だけで決まりません。厚生労働省は、少なくとも、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況を考慮すると整理しています。判例紹介でも、代償措置や他の労働条件の改善状況、他の従業員の対応、社会一般の状況などを含めた総合考慮が示されています。
つまり、「会社が苦しいから」だけで当然に合理的になるわけではありませんし、逆に「労働者が嫌がっているから」だけで直ちに無効になるわけでもありません。どれくらいの不利益を与えるのか、その不利益を与えるだけの必要性があるのか、他に緩やかな方法はないのか、代償措置はあるのか、労使協議をきちんと経ているのか、といった全体像で決まります。
4 賃金・退職金の不利益変更は、特に厳しく見られやすい
不利益変更の中でも、賃金や退職金は労働者にとって極めて重要です。厚生労働省の裁判例整理では、賃金・退職金などの重要な労働条件について実質的な不利益を及ぼす就業規則変更は、そのような不利益を法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づく合理的内容であることが求められると紹介されています。
このため、給料の引下げ、手当の大幅削減、退職金制度の後退などは、会社側にかなり重い説明が必要です。単なるコストカットでは足りず、変更の必要性と内容の相当性が厳しく見られやすい、というのが実務感覚です。第四銀行事件やみちのく銀行事件の整理でも、その方向性が示されています。
5 逆に、変更が認められる場面もある
もっとも、就業規則変更による不利益変更が常に無効になるわけでもありません。厚生労働省の裁判例整理では、定年延長と引換えに賃金体系を見直した事案で、必要性や制度全体の相当性などを踏まえて合理性が認められた例も紹介されています。就業規則変更の合理性判断は、単に減額幅だけを見るのではなく、制度全体で見ます。
したがって、会社側が何らかの変更をしたときは、「不利益だから自動的に無効」と即断するのではなく、どのような制度改定なのか、代償措置や経過措置があるか、対象者が偏っていないかなどを見ていく必要があります。ここは、感情だけでなく構造で見る場面です。
6 「同意したことになっている」と言われる場面に注意する
不利益変更の相談では、会社側が「本人も了承している」と主張することが少なくありません。しかし、厚生労働省の裁判例整理は、不利益変更についての同意の有無は慎重に判断すべきであり、受け入れるような行為があったとしても、その不利益の内容・程度、そうした行為に至った経緯、事前の情報提供や説明内容に照らして、自由な意思に基づくものと認められるかどうかで判断されるべきだとしています。
つまり、署名した、異議を言わなかった、しばらく働き続けた、という事実だけで、いつでも簡単に有効な同意になるわけではありません。特に、変更内容の説明が不十分で、拒否しにくい状況で、事実上選択肢もなかったような場面では、「自由な意思に基づく同意」と言えるかが問題になります。
7 ただし、減額後の賃金を黙って受け取るのも危ない
他方で、労働者側にも注意点があります。厚生労働省の教材は、引き下げられた給料をただ黙って受け取っていると、同意があったとみなされるおそれがあるので注意が必要だと案内しています。金額が少ない、明細がおかしい、と感じたときは、会社に問い合わせるべきだとされています。
ここは実務上かなり大事です。もちろん、黙って受け取ったから即アウトとまでは言えませんが、争うつもりなら、少なくとも「承諾していない」「確認したい」「元の条件どおり支払ってほしい」という姿勢を、メールなど記録の残る形で示しておいた方が安全です。
8 周知されていない就業規則変更は、それだけで弱い
会社が就業規則変更で不利益変更を正当化したいなら、内容が合理的であるだけでなく、その変更後規則を労働者に周知させている必要があります。厚生労働省の整理でも、合理性と周知はセットです。したがって、「規則は変えたが、現場には配っていない」「イントラに置いただけで説明していない」「従業員が実質的に見られない状態だった」という場合は、会社側の主張が弱くなります。
また、就業規則の作成・変更にあたっては、労基法90条により過半数労組または過半数代表者の意見聴取が必要で、作成・変更後には所轄労基署長への届出も必要です。ただし、これらを形式的に踏んだからといって、それだけで労契法10条の合理性が満たされるわけではありません。あくまで合理性判断の一事情です。
9 どんな変更が「不利益変更」になりやすいか
典型的なのは、基本給の減額、手当の廃止・縮小、賞与算定の不利変更、退職金制度の後退、定年制の導入や延長と引換えの賃金カット、休日の減少、勤務時間の不利変更などです。厚生労働省の各資料でも、給与引下げや就業規則変更による共通ルールの変更が中心例として扱われています。
勤務地や職務内容の変更も、就業規則や配転条項があるからといって無制限ではありません。厚生労働省のセミナー資料は、配置転換について、業務上の必要性と労働者が受ける生活上の不利益を比べ、権利濫用なら無効になりうると説明しています。したがって、「賃金だけが不利益変更」ではなく、働き方全体の変更も問題になります。
10 争いになったとき、何を見ればよいか
まず確認すべきは、変更前の条件が何だったかです。雇用契約書、労働条件通知書、給与規程、手当規程、就業規則、過去の給与明細、採用時資料を見ます。次に、会社が何をどう変えたのか、その理由説明が何だったのか、労使協議があったのか、周知はどうされたのかを確認します。合理性は、変更の必要性だけでなく、不利益の大きさ、内容の相当性、交渉経過などを総合して見るからです。
その上で、賃金減額なら、減額後の明細を黙って積み重ねないことが大切です。異議を述べた記録、説明を求めた記録、減額前後の比較表などを作っておくと、後で非常に役立ちます。これは条文そのものではなく、上の法理を実際に使うための実務上の要点です。
11 まとめ|会社は変えられることもあるが、好きには変えられない
労働条件の不利益変更は、まず合意が原則です。会社は、労働者の合意なく、個別の契約条件を勝手に悪くすることはできません。ただし、就業規則による統一的変更については、合理性があり、周知されている場合に限って、例外的に認められることがあります。ここが労契法8条・9条・10条の骨格です。
したがって、会社から「規則が変わったので従ってください」と言われたときは、そこで思考停止しないことが大切です。何がどれだけ不利益なのか、なぜ必要なのか、代償措置はあるのか、十分な説明や交渉があったのか、周知はされていたのかを見直す必要があります。会社は変えられることもありますが、好きには変えられません。